きゅうり

 

盛々夏野菜のハードエッセイ & ショートストーリー 【思想、心理、書評、劇評、感想、あらすじ】
 

 

 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 

 

 

 

 
ブルース・フィンク著『後期ラカン入門』(人文書院)の発売が予定の9月6日より少し遅れていた(注1)ので、その間、同じ著者の『ラカン派精神分析入門』(誠信書房)の一部(三~五章)を読み返していた。明晰にして丁寧な解説を特徴とする、ラカンの入門としては右に出るもののない名著であるが、ラカンの主張自体が複雑きわまるのだから、そう簡単に頭に入るというわけにはいかなかった。しかし昨日『後期ラカン入門』が届き、早速開いてみると、序文の中でラカンの仕事が素描されていて、さすがはブルース、臨床に軸足をおき、難解語の実践的な意味を少ない字数で明晰に述べている。俺はその部分を読んですこし展望が開けた気がしたのだ。そこで、俺の現時点におけるラカン理解を簡潔に整理してみたい。『後期…』の本文を読み進める前に、俺としてはいったんこういう作業を経由しておくことが必要と思ったのだ。でははじめよう。


有名な「人間の欲望は他者の欲望である」という命題の意味は、人間は自分の(無意識的)欲望をもって生まれてくるのではなく、他者(大文字の他者A)つまり両親の欲望を植えつけられることによってはじめて欲望をもつ存在になるということだ。私の欲望に私は主体的にかかわることができず、他者から一方的に押しつけられるのだ。こういう存在のあり方が「疎外」。反対に「疎外」の解消、すなわち「他者の欲望」からの離脱が「分離」だ。そして、この「疎外」という不安定な存在様式は思春期以後に「神経症」という名の問題をひきおこす(たとえば自由を望みながらも自由を追求できない自縄自縛におちいる)。そしてそこには、私に自分の欲望を押しつけ、私の主体性を不当に奪い、不本意な境遇にいたらしめた(たとえば私の自由を制限した)他者つまり両親への強い怒りがともなっている(注2)。もっとも、他者から欲望を植えつけられない限り、そもそも私は欲望をもつにはいたらない、言いかえれば人間になることができないのだが。

ところで、他者つまり両親は、無力な幼少時代の私にとって、私の生殺与奪をにぎっている一方で、強烈な愛情によって私をのみこんでしまいかねない危険な存在でもある。したがって「他者の欲望」と正面から向き合うことはトラウマ的であり、私はそれに耐えられない。「他者の欲望」とのこのトラウマ的な出会いを「享楽」といい、私はやがてこれに直面するのを避けるために「幻想」(たとえば際限のない強烈な自由ではなく、制限された自由に甘んじる幻想)を生み出し、これと表裏一体の関係にある「神経症」を病むことになる。

ラカン派のキーワードというべき「対象a」については、まず、対象という名称にもかかわらず「欲望の原因」を指していることを言っておかなければならない(注3)。次に、この概念がいかなる技術的な要請によって導入されたかを押さえておかないと、見かけ上の多義性にめまいがして混迷におちいることになる。「対象a」とは、精神分析において分析家が占める立ち位置なのだ。ラカンによれば、被分析者は、毎度のセッションで自分の夢や願望を分析家に報告しているうち、やがて、自分が夢や願望を生みだすのは分析家に話すためだと感じるようになる。要するに分析家は「欲望の原因」とみなされるのだ。こうして「転移」が起こる。かれ(被分析者)は自分の欲望の中に住みついてしまった(注4)分析家の存在に耐えられなくなり、主体性を取り戻すための抵抗をはじめる。つまり、分析家を権威的人物(大文字の他者A)とみなし、機嫌をとって懐柔しようとしたり、想像的ライバル(小文字の他者a’)とみなして攻撃を加えたりする。しかしここで、分析家はかれの挑発に応じて権威的人物としてふるまったり、想像的ライバルとしてふるまってはならない。人格をもたない空虚な「対象a」としてふるまい、かれの不満の内容をひたすら言語化させることにつとめなければならない。するとかれは自分の挑発が必ずしも功を奏しないことを理解し、それにともなって、かれが(分析家に代表される)他者にたいして抱いていた固定観念(≒幻想)も変更(横断?)を余儀なくされる(たとえば、「他者が私の自由を制限している」という考えは、「自由の制限を望んだのは実は自分だった」という考えに変わるかもしれない)。やがてかれが欲望を主体化(他者から押しつけられた欲望を、自分自身が望んだものとして引きうけなおすこと)することに成功するならば、そのとき、かれは不合理な思考や行為を自分の意志でやめることができるようになるだろう。

(注1)結局9月12日か13日に書店に並んだようだ。
(注2)この怒りは意識されていることもされていないこともある。
(注3)そして欲望の原因は「他者の欲望」なのだから、対象aは「他者の欲望」でもある。
(注4)もちろんそれはかれの被害妄想にすぎない。

ラカン派精神分析入門―理論と技法ラカン派精神分析入門―理論と技法
(2008/06)
ブルース フィンク

商品詳細を見る

後期ラカン入門: ラカン的主体について後期ラカン入門: ラカン的主体について
(2013/09/06)
ブルース・フィンク

商品詳細を見る


『後期ラカン入門』の序文は人文書院のサイトからダウンロードすることもできる。
http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b110261.html  

 

 

Comment

 

Secret?


 

 

 

 

*Template By-MoMo.ka* Copyright © 2017 まず深呼吸、一歩引いて気楽に行こう, all rights reserved.

Author:盛々夏野菜

男性、既婚、事務系サラリーマン。
現代思想フェチだが、本を読むのが遅いのであまり多くは読めない。地底人生活を経て現在は臨床心理に関心がある。新鮮な胡瓜が好き。
VBA Expert Standard Crown
VBA Expert Standard Crown

未分類 (1)
思想とメンタルヘルス (34)
シアター (8)
シネマ (0)
ミュージック (4)
デジタル (2)
自分を苦しめない暮らしかた (19)
全体は部分に優先する (9)
高橋和巳 (3)
アラン『幸福論』 (2)
自我の二重化という手法 (2)
鄭義信 (8)
浜田麻里 (4)
外国文学 (1)
日本文学 (10)
政治 (9)
マスコミ (3)
疑似科学・擬似医学 (3)
石原加受子 (2)
掌編小説 (7)

 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。