きゅうり

 

盛々夏野菜のハードエッセイ & ショートストーリー 【思想、心理、書評、劇評、感想、あらすじ】
 

 

 
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宝彩有菜氏の『始めよう。瞑想』、『楽しもう。瞑想』を読み、多少は瞑想を実行している。こころがすこし澄んできた気がする。一方で、瞑想理論を使ってものごとを考える習慣がついてきた。それで「強迫的思考」について考察してみた。

脳内メモリ領域のほとんどが不安や悩みごとで占拠されていると、人は新たな問題にわずかなメモリ領域で対処しなければならなくなる。問題を多面的にとらえ、なりゆきをみまもり、総合的な判断を下す余裕がないから、見切りが早くなる。つまり、少しでも危険そうに見えるものを放置することは不安でならないために、「危険そうに見えるものはとりあえずすべて拒否」という乱暴な分類法によって、自分を守るしかなくなってしまう。しかも脳内メモリ領域の不足はつづいているから、「とりあえず」の判断を見なおして修正する機会はついにめぐってこない。こうして、かれの脳内では「危険そうに見えるもの」=「危険なもの」という判断が固定化されてしまい、疑う余地のない前提として次なる判断を拘束するので、世界観は日に日に妄想的になっていく。以上の過程が理解できれば、やがて、かれがたとえば「今日は左の足から歩き始めてしまったから不幸が襲ってくる」と本気で考えて、立ち尽くしてしまうにいたるのも無理はないということがわかるだろう。また、そこまで深刻ではなくても、「行けない場所」、「会えない人」、「開けられないドア」があるという人は多いだろう。

では、どうすればいいのだろう。脳内メモリの「空き領域」を増やせばいいのだ。要するに瞑想だ。宝彩氏の瞑想は「脳内メモリの片づけ」として明快に体系化され、その方法も単純きわまる15ステップのアルゴリズムに集約されている(それでいて本格的な瞑想に必要な要素をすこしも割引していない)ので、理論にも納得がいくし、初心者にとってハードルが低いというか、ほとんど障碍を感じずにすむ。だまされたと思って、すぐにはじめてみてはいかが。

始めよう。瞑想―15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
楽しもう。瞑想 心に青空が広がる (光文社知恵の森文庫) 
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瞑想は脳を扱うためのテクノロジーであり、本書で厳密に体系化されている。瞑想の理論が一点の破綻もないロジックによって明晰に記述され、著者の言わんとすることがすっと腑に落ちた。

著者によれば、瞑想とは脳内デスクトップの片づけである。しかしPCにたとえるならば、デスクトップよりもメモリといったほうが正確であろう。思考を棚上げし、メモリの空き領域を増やしさえすれば、システムが安定して心身ともに健康になり、あらゆる問題が解決し、うまくいきはじめる。反対に空き領域が不足すれば、エラーが頻発し、問題が山積みになり、苦しみがつのっていく。要するに問題の解決とは、問題を思考しつづけることではない。思考はメモリ領域を無駄に占領し、堂々めぐりするだけで、解決のための何物も生みださない。そうではなくて、解決とは無意識の自動的な過程なのだ(注1)(注2)。そして思考は不当にメモリの負荷を高め、無意識の働きを妨げる危険因子である。してみると、われわれにできることは、メモリの空き領域を増やし、無意識がサクサクと活躍できるように道を空けてやることなのだ。

本書の立場は、明らかに「われ思うゆえにわれあり」というデカルト説の否定を含んでいる。思考は「わたし」という主体の存在を証明しない。思考は脳という不完全な器官がうんだ徒花であり、堂々めぐりする自動機械にすぎない。もしどうしても「わたし」という主体が必要ならば、メモリの空き領域がじゅうぶん確保されたときに最大の実力を発揮する「動物的勘」こそがそれであろう(もっとも、これは著者の意見ではなく俺の意見であるが)。

瞑想をはじめて五日間。まだ少しもうまくできなくて、十五分もたないのだが、心身に変化が出てきた。
(1)一日でこなせる仕事のボリュームがアップした。
(2)長くわずらっていた皮膚炎が、薬をつけなくても治った(「薬をつけないから治った」のかもしれない)(注3)。
(3)小さなストレスの処理がうまくなった。不快なできごとを、胃痛や頭痛という形で身体にフィードバックさせず、横道にそらすことができるようになってきた。

この著者との出会いは、高橋和巳先生、石原加受子先生以来の衝撃であった。

(注1)「無意識」といっても、トラブルをつくりだすフロイト的な無意識とは真逆の存在である。この文脈でいうと、フロイト的無意識はむしろ「思考」のカテゴリーに入る。それも肥大化した怪物的な思考だ。

(注2)なぜ自動的に可能であるかについては、カテゴリ「全体は部分に優先する」特に「アーサー・ケストラー『機械の中の幽霊』―全体は部分に優先する(3)」を参照されたい。上位の自我は、下位のシステムに簡潔な命令を下し、具体的な手順はそのシステムに「委譲」することによって、自分自身で手を下すよりもうまく課題をなしとげる。意識することはかえって邪魔なのだ。

(注3)「このままでは治らないかもしれない」という不安(注4)は治癒を遅らせるようだ。脅迫的に薬を塗りつづける行為はこの不安と共犯的だ。

(注4)われわれは何度も「気がついたら治っていた」という経験をしているだろう。いやむしろ、そうでないことは稀であろう。そもそも治癒とはそういうものであろう。特効薬のパワーだけでなく、いや特効薬のパワーと同等か、あるいはそれ以上に、身体の総合的バランスの回復が治癒的に作用する。事実、人びとは特効薬が開発される前でも治癒していた。こういう経験の意味が十分腑に落ちていれば、「これまで何とかなってきた」ことの論理的帰結として「今回もなんとかなるはず」という結論が導けるはずなのだ。しかし、強力な特効薬の誕生がこういう経験則を不要にしたなどと考えて、特効薬のパワーでねじ伏せるイメージに執着してしまうと、身体バランスの変化への感受性を失い、せっかくの治癒のチャンスを棒に振り、希望を見いだせなくなってしまうかもしれない。こうして、「このままでは治らないかもしれない」という不安の出現は、特効薬信仰の危険な副産物かもしれないのだ。(注5)。

(注5)患者の「経験則」と同様に、医師における「治療スキル」の喪失も問題になりうる。特効薬の誕生によって医師の「治療スキル」も不要とみなされ、治療文化の伝承が途絶えてしまうとしたら、医学にとって深刻な打撃であろう。

始めよう。瞑想―15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)始めよう。瞑想―15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
(2007/08)
宝彩 有菜

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 線路ぞいに細道があり、そこは鉄道会社の土地であったが、地域住民は抜け道として重宝していた。ところが鉄道会社にはあまり評判のよくない社員がいて、細道の一箇所に自分のランドクルーザーを停めはじめた。もともと細い道であるから、一箇所でも塞がれてしまうと通りぬけはできなくなり、ひとびとは迂回を余儀なくされた。こういうわけで、われら自治会役員五名が鉄道会社の支社へ直談判にいったところ、応対はすこぶる丁寧であったが、会社の対応については明言を避け、言質をとられるような約束めいたことは一言も口にすることなく、お申し越しの件について、回答は後日文書で差し上げるという返答を述べるにとどまった。
 一週間後に回答がきて、われらは呆気にとられた。いわく、件の道路はわが社の私有地であって、その用途について貴殿らから指示をうけるいわれはない。わが社の社員に駐車場として利用させることは、正当な権利の行使である。これで鉄道会社は完全に地域を敵に回してしまったことが明らかになった。われらはこの事実をできるだけ多くの人に知らしめることが必要と考えて、会う人ごとに語って聞かせた。
 すると今度はおまわりが訪ねてきた。どこぞの国ではあるまいし、噂を広めたかどで拘束されることなどないとわかってはいたが、それでも敵の手の内がわからず、どんな隠し球をもっているかわからないので、われらは警戒をおこたらなかった。おまわりの話によれば、鉄道会社の重役で警察に強力なパイプのある人がいる。それで、自分は、気が進まないのだが、偵察に来るはめになった、ということだ。それだけ言うと、他に何かできるわけもなく、おとなしく帰っていった。
 翌日、細道の両端にカラーコーンが出現した。そんなものを置かずとも、通りぬけのできない道に乗り入れるも者はいないのだが、鉄道会社の意思を示すにはじゅうぶんだった。それとも誰か個人の意思なのか?
 われらは署名活動を行なうことに決めた。そして署名用紙の印刷を発注した。しかし納品日になって、印刷屋は、今回の発注はなかったことにしてくれと言って、原稿と、手付金の戻しと、菓子折りを持ってきた。
 われらは熱意がつづかなくなり、五名で集まることも少なくなった。
 ところがある日、カラーコーンが忽然と姿を消した。ランドクルーザーもなかった。翌日も同じだった。様子見をしていた地域住民は、やがて何事もなかったかのように細道を利用しはじめた。その後、例の社員とすれ違ったとき、こやつはわれらを睨みつけた。まるでわれらが直接手を下しでもしたかのように。  
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 小僧は性質が悪かった。駅のホームですぶりをし、周囲の迷惑などかえりみなかった。コーチに屈辱的なあだ名をつけ、仲間の少年たちにもそのあだ名を使うように強いた。誰が弱者であり、誰が自分の身を守れない木偶の坊であるかを瞬時に見分け、的確に狙いを定めてダメージを与える手腕は、天才的と言ってもよいほどだった。よく通るボーイソプラノの声で、きたない言葉を機関銃のように連射するさまの、うっとうしさといったらなかった。
 コーチがうつ病になってやめたあと、監督の依頼でチームの面倒をみることになった大学生は、誠実な人間であったが、決して小僧に隙を見せるようなことはなかった。小僧に気づかれることなく、小僧の悪辣な行状をつねに監視していた。たいていの人がそうである程度に、すこしサディスティックなところのあるこの青年は、小僧の悪事を見つけるたびに腕をねじり上げた。ということは、小僧の行動を予測し、悪事の瞬間には近くにいるようにしていたのだ。こうでもしなければ、小僧は監視の裏をかいていっそう悪事をエスカレートさせていただろう。
 小僧は四番でエースだったが、その行状があまりにもチームの和を乱すものであったために、リーグ戦のとき、青年からの提案によって、監督からベンチスタートを言いわたされた。代役のピッチャーが好投しはじめると、小僧は市営スタジアムのバックネットに指をかけてヤモリのようにはりつき、のぼり始めた。そうすれば、小僧の意のままになるチームメイトたちは、ピッチャーよりも小僧の方にいっそう大きな声援を送ることがわかっていたからだ。しかも、チームメイトの中でバックネットをのぼる勇気のある者が小僧以外にいないことは事実であった。それはそうだ。小学生といえども、ヒトの体重を支えるような構造にはなっていない。バックネットの高さの半ばまでのぼった小僧は、スタジアム中の注目を集め、勝利の記念に、右手をつきあげておたけびを上げた。そしてバランスを崩し、首から落下した。

 
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「他者の思惑を気にせずに生きる」という生きかたを実行しようと思っても、楽しむことを禁じられ、自分のほんとうの気持ちに気づくことなく育った者にとって、それは一度も経験のない未知の領域であるから、何から手をつけてよいか見当がつかず、途方にくれるしかないだろう。

こういうときには、微熱のときに自分がどうふるまうかを思い出してみるのもいいかもしれない。最低限の義務は果たすけれど、気力は衰えているので、複雑な人間関係の問題を解決するために努力しようなどとは夢にも思わないだろう。つまり「今日は開店休業」という心境であろう。

そして、廊下で同僚とすれ違ったり、短い打ち合わせで同僚と会話したりするときに、熱があることをあえて打ち明けるいとまがない場合には、相手に正面から向き合わず、深くは入りこまず、かといって失礼にはあたらないように「適当にやりすごす」だろう。そうなのだ。この「適当にやりすごす」という感覚こそが、「他者の思惑を気にせずに生きる」という生きかたのモデルになるのだ。実行してみれば、それによって自分の評判を落としたり、同僚からの信頼を失うようなことには決してならないことがわかるはずだ。

 
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身体の不調を感じ、その原因に思い当たり、ニ、三の症候がその原因説にあてはまると、俺はその原因説にとりつかれてしまい、他に原因があるかもしれないという疑いをもたなくなる。こうして周囲の声に耳をかさなくなり、情報を仕入れる努力もしなくなってしまう。そうなると、自己治療のための偏った生活習慣や、病状の悪化にたいする過剰な恐怖心によって、かえって俺の健康は失われていく。

やがて、俺が信じこむ原因説にはいつも共通の特徴があることがわかってくる。それは深刻で絶望的という点だ。おそらくそれには経済的な動機がある。つまり損失を最小におさえようという思惑である。無数に想定できる原因群の中の「最悪なもの」に備えておくことによって、近い将来に悲惨な現実に直面してあじわうかもしれないショックを、前もって相対的に軽減しているつもりなのだ。しかしその結果はどうであろう。俺はつねに、よりによって、無数に想定できる原因群の中でも「最悪」の病気にかかるのと同じ恐怖をあじわうことになる。どう考えてもコストの高すぎる、不合理な選択だ。

そうではなくて、無数に想定できる原因群の中の「最も軽くて他愛ない」ものを選択するようにすればいい。病気らしきものの正体は、実際にはほとんどそれだから、この方法ならば最小のコストで対処できることになる。もしその原因説が間違っていたら、二番目に軽いものに切りかえればいいだけのことだ。そもそも、俺は原因を探求したかったのではなく、身体の不調を癒したかったはずだ。だったら、手軽に癒せそうな仮説のほうから順番に手をつけるのが筋である。

しかも、強い恐怖心に支配される必要のなくなった俺は、余裕をもって症候の意味を評価できるだろう。複数の病気が同じ症候をもつゆえに、症候はつねに多義的であり、妄想的解釈の温床となる。したがって、まず冷静になることが癒しへの第一歩なのだ。 
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遅ればせながら掌編小説の口上を述べておきたい。

資料を集めてコツコツと肉付けしていくタイプの小説は俺には向かないと考えるにいたり、プロットをそのまま発表してみたのが、最初の「美里ばあさん」である。

俺は複雑な現象を簡潔に述べる抽象度の高い文体を確立しようとして努力してきた。だからどちらかというと具体描写は苦手なのである。それで、ひとつプロットだけの小説をしばらく書きつづけてみようと思った次第だ。

現実のできごとから触発は受けているが、これまで書いた四つの小説には、参考にしたできごとやモデルというものはない。四人の(正確にいえば三人と一匹の)主人公は、俺の純粋な分身なのである。四人のうち三人は韜晦のために性別を変えてあるからわかりにくいかもしれない。しかし美里ばあさんも、沙友里も、雌猫も、偽装した俺なのだ。俺という人物に興味をもってくださった方は、そのことをを頭に入れたうえで再読してみるのも一興かもしれない。もちろん、ディテールまで正確に俺をなぞっているわけではないけれど。 
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 この家にもらわれてきたとき仔猫だったあたしは、まもなく、ママさんへの深い「信頼」を示すまたとない方法を発見しました。なんということはありません。毎日きまった時刻にママさんの前にあらわれて「ニャー」と鳴くことです。しかし、その「ニャー」に心をこめればこめるほど、あたしは一方でジレンマにおちいっていきました。なぜならあたしとて猫族の一員ですから、対猫関係の中でさまざまな小事件がひっきりなしに起こり、対処を迫られるため、必ずしも決まった時刻にあらわれることができなくなったのです。それに、あたしはいつも絶好調というわけではありません。「ニャー」の調子が低いこともあれば、「ニャー」と発声する元気さえ出ないこともあります。そして困ったことに、こういう不手際は、タイムリーで心のこもった「ニャー」とのギャップによって、自動的に「信頼」の反対、つまり「不信」という意味をもってしまうようなのです。ママさんが悪いわけでもあたしが悪いわけでもありません。「差異」とか「記号」というものは、最初からそういうものなのです。もちろん、それはギャップがそう見せているだけのことであって、事実、あたしは不信のかけらももったことはないのです。
 あたしがこのような結論にたっしたのは、ママさんの様子が、ひどく落胆しているように見えたからなのでした。いえ、あたしなんかの観察など気にとめないでほしいのです。そうでないならそれにこしたことはないのです。でも、あたしの観察がもしほんのひとかけらでもあたっているのなら、あたしは、あたしの信頼がすこしも変わっていないことを弁明したいのです。もちろん、猫族のあたしには叶わないことなのですが。そして、できることならママさんにあたしのことを長い目でみてもらえる余裕をもってほしいと思うのです。なぜって、ママさんがあたしの「ニャー」をこころから喜んでくれるという百パーセントの確信をまだもてずにいる今、臆病者のあたしには、ママさんの前に駆けていって高らかに「ニャー」と鳴くことはきっとできないから。あたしにできることは、あたしの愛と信頼は不動であることを、あたしの日々の態度によって、すこしずつ、証明しつづけることなのです。 
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盛々夏野菜

Author:盛々夏野菜

男性、既婚、事務系サラリーマン。
現代思想フェチだが、本を読むのが遅いのであまり多くは読めない。地底人生活を経て現在は臨床心理に関心がある。新鮮な胡瓜が好き。
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