きゅうり

 

盛々夏野菜のハードエッセイ & ショートストーリー 【思想、心理、書評、劇評、感想、あらすじ】
 

 

 
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非言語的メッセージの扱いにくさはその多義性にある。それ自体では意味のない「非言語的メッセージ」が意味をもつにいたるのは解釈の枠(コード)の働きなのだが、問題は、解釈の枠じたいが無数に可能であることだ。こうして一つの行為(非言語的メッセージ)は、解釈の枠が異なれば複数の意味をもつことがあり、場合によっては真逆の意味をもつこともある。たとえば微笑というメッセージは、「好意」を意味することもあれば「敵意の隠蔽」という意味をもつこともあろう。しかし、心を読むことができない以上、かかるメッセージの因ってきた背景をつぶさに知ることはできない。しがたって相手に真意をただす以外に真の意味を知るすべはない。だとすると、われわれのとりうる途は次の三つである。

(1)相手に真意をただす
(2)特定の解釈に賭けてみる
(3)どっちつかずのまま放置する

さて、(1)が実行できるのであればただちに問題は解決する。しかし、真意をただす行為じたいが危険であれば(たとえば攻撃と受けとられる恐れがあれば)それはできない。

一方(2)は最悪である。人は、真意がわからないという不安のあまり、運を天にまかせて特定の解釈にしがみつき、暴走することがある。積極的すぎる解釈を行なった場合(たとえば相手の微笑が好意を意味していないのに好意と解釈した場合)は「迷惑行為」に走り、反対に消極的な解釈を行なった場合(たとえば相手の微笑を「敵意の隠蔽」と解釈した場合)は「引きこもり」にいたることになろう。しかし相手の真意は謎のままなのだから、どっちに振れるにせよ、あまりに危険な賭けと言わなければならない。前者の場合は社会的な信用を失うことになりかねないし、後者の場合はかけがえのない友にみずから絶縁を言いわたすことになりかねない。

では(3)を実行してみよう。行為の意味が言語的に明らかになるまで待ってみよう。明らかにならないならばそのまま放置しよう。たぶん、やがて勘違いであったことがわかるだろう。よくも悪くも激震が起きたというのは錯覚であって、昨日までと同じ日常が続いていたことがわかるだろう。そして「心の迷い」の原因は、非言語的メッセージに反応したことであることがわかるだろう。

追記 言語的メッセージであっても、「暗示」のように多義的なメッセージは非言語的メッセージと同様に無視しよう。多義的メッセージの意味を特定できるという誤った自信こそが危険なのだ。事実として、特定することは不可能なのだから、不可能であることを何も悲観することはない。むしろ、不可能なことを実行しようとする努力こそが事態をややこしくし、悲劇を呼びこむ。

こころを読むのはやめよう 
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 神奈川県でいちばん旨いうどんを食べに行こう。誰かがそう言ったので、俺たちの一行は**市のy字路にむかった。y字といっても小文字のyであって、左右対称ではなく、二画目(長いほう)にあたる国道の中ほどの位置が、一画目(短いほう)にあたる県道の終点になっている。
 それで、俺たちはyの字の二画目終端の方向から、字画の方向とは逆向きに(下から上へ)すすんできて、この交差点にさしかかる。
 しかし、こう述べただけではまだ正確でない。そこで、あなたの脳内でyの字を左右反転させてほしい。ここで俺が描写せんとしている実際のy字路はそういう形であった。
 どちらでもかまわないじゃないか、という声が聞こえてきそうだが、俺の記憶と読者の脳内イメージが一致しないのは、書き手としてやはり納得がいかない。わかりにくかったら図を描いてみてはいただけまいか。
 さて、俺たちは国道の左側の歩道を歩いてゆく。くだんのうどん屋は反転したyの字の又の中、つまり国道と県道が交差したすこし先の、国道を跨いで右側にある。だから、うどん屋に行くには国道を横切らなくてはならない。しかしこの国道は交通量が多い。それでちょうど、うどん屋の正面の位置に歩道橋がかかっている。
 俺が先頭に立って歩道橋にとりかかることになった。しかしこいつが問題なのだ。鋼鉄製で、赤い塗料で塗装されたその歩道橋には手すりがない。階段のステップは黒い鋼鉄製で、しかもメッシュになっている。そればかりか、ステップとステップの間隔は上下に一メートルも空いている始末だから、歩行者はひとつ上のステップをつかんではい上がり、ロッククライミングばりに、命がけの登攀をしなくてはならない。メッシュの目に指をかけてぶら下がればすこしは安定感が増すかもしれないと考えたが、メッシュの目が細かすぎて指が入らない。恐怖に足がすくむ。
 そんな危険をおかすべきだろうか。うどんを食べるために。それとも、危険を避けて、うどんを断念し、引きかえすべきだろうか。ところでだいたい、あの店のうどんを食べたことのある人は、皆この歩道橋を使ったのだろうか。
 しかし、と俺は思う。悩む価値もないと。そして車列のあいだをくぐって国道を横切り、さっさとうどん屋に入ってしまう。うしろの連中が、おずおずと俺に追随しはじめる。
 こうして俺は一行よりひと足早く入店したのだが、俺の目に入ってきたのは、うどんが配膳されるのをまっている数人の客だけだった。店主はどこにいるんだろう。しかし俺が彼らに尋ねたのは、店主の所在などではなかった。「皆さん、本当にあの歩道橋を使ったんですか」
 誰もはっきりと返辞をしない。かといって、歩道橋を使わなかったことを恥じて、ばつが悪そうにしているというのでもない。 
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『焼肉ドラゴン』を含む最新戯曲集がやっと出る。

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 それは沙友里が九歳のときだった。小さくて食も細い沙友里は、兄のまねをして、ごはんをおかわりしてみた。たくさん盛ってもらったが、二口食べてすぐに満腹してしまった。しかし母は許さず、最後の一口まで責任をもって始末することを命じた。それで沙友里は咳き込み、嗚咽しながら気丈に完食した。小さな胃がきしみ、死ぬほど苦しかった。その晩、沙友里は具合が悪くなり、翌日の晩まで眠りつづけた。
 この罪深いしつけは、動物的な本能に逆らって食の快楽にふけってもよいということを、沙友里に学習させた。やがて、何か不安をもつたびに、苦しくなるまで食べつづけるようになった。肥満することはなかった。そもそも、大量の食物を全部栄養にしてしまうほどには、内蔵が強くないのかもしれなかった。しかし胃はきりきりと痛んだ。
 いつも、食事を楽しむと言うよりも、一刻も早く平らげてしまいたいと考えている人のように、せかせかして、義務をはたすような食事ぶりだった。出されたものを残すことはまずなかった。かくも胃の使いかたがへたなので、おなかの調子はいつも悪かった。それゆえトイレにいく回数が多かった。小ではなく大のほうだ。もっとも男子とはちがって、言わなければ小か大かはわからないのだが。音姫もあるし。では頻尿と思われていたのだろうか。女子から指摘されたことはなかった。しかし本人はひどく気に病んでいた。
 かわいいので男子からはよく声がかかった。しかし男子と一緒に一日を過ごすと、途中でトイレに行かなければならない。その回数が、連れの男子よりも多くなるのではないかとつねに気にしていた。回数を減らすために、トイレに行かず耐えていたこともあった。
 それで五人目の男子とわかれたあと、内科医の勧めにしたがって心理カウンセラーに会った。不思議な体験だった。というのは、初対面の男の人と話して緊張しないのははじめてだったからだ。カウンセラーは、沙友里がひそかにおそれていたように、心の中に土足で踏みこんできたり、トラウマに直面化させるようなことはしなかった。ただ、ひごろ沙友里を拘束し、身動き取れなくしている、さまざまな義務感、道徳心、そして打算を一瞬手ばなして、子どもらしい素の自分と向きあえるようにみちびいてくれた。こうして沙友里ははじめて「あたしってかわいそうなんだ」と思った。涙が流れた。
 しかし習慣の力は強力だった。沙友里はあいかわらずせかせかと義務を果たすように食べ、そして食べすぎておなかをこわすのだった。もっと根本的な治療が必要だった。沙友里が考えたその治療法は、九歳の自分に会い、手をさしのべ、味方になってあげること。そして当時の母と対決し、誤ったしつけをやめさせることであった。
 次にカウンセラーと会ったとき、催眠療法の先生を紹介してもらった。翌週、その先生に後催眠暗示をかけてもらった。その晩の夢に出てきた九歳の沙友里は、まさに二杯めのごはんの三口めを、むりやり口の中に運ぼうとしているところだった。二十一歳の沙友里は、九歳の沙友里の腕をそっとつかみ、「食べなくていい」という意思を伝えるために首を横に振った。そして小さな沙友里をそっとだきしめて言った。「だいじょうぶよ。あたしがついてるからね。何も心配しなくていいから」
 すると母の顔が鬼のようにゆがみ、膨張して巨大な風船になった。沙友里が大砲をぶっ放すと、風船は粉々になって飛び散り、寝室の中の二つの影があらわれた。それは、九歳の沙友里と、添い寝している母だった。
 夢の中の不思議な能力によって、沙友里には事態が見てとれた。あのとき、沙友里に完食を強要した母は、沙友里がすぐにねを上げて食べるのをやめると思っていたのだ。そして思いもよらない展開にあわてふためいた。目を覚まさない沙友里に寝ないでつきそい、ごめんねといいながら朝まで泣いた。朝がくると、娘の命を救うために、てきぱきと主治医の往診を手配した。
 そういうことを十二年間おくびにも出さず胸にしまっていた母に、沙友里は「意地っぱり」とつぶやいた。そして抱きしめていた大砲に弾をこめずに、やさしく、空砲をお見舞いした。 
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 優子、麗子、美里の三人のばあさんはいつも行動を共にしている。リーダー格でやり手なのが優子ばあさん、ぐずで足手まといなのが美里ばあさん、可も不可もないのが麗子ばあさんだ。
 美里ばあさんが自転車に引っかけられて足首を捻挫したとき、優子ばあさんは泣いている美里ばあさんを尻目に相手の女子大生との交渉を買ってでて、前払いで治療費をせしめた。領収書の提示を求められることもなかったので、美里ばあさんは健康保険で整形外科を受診し、ロキソニンテープを二週間分もらい、ついでに腰のマッサージもしてもらったが、受けとった額の一割もかからなかった。美里ばあさんはしきりに恐縮して残額を返したいと言いはったが、優子ばあさんはそんなことをしたら足元を見られて報復されるかもしれないと言っていさめた。「それに」と優子ばあさんは言った。「あんたはとても怖い思いをしたんだから、それくらいの迷惑料をもらって当然なのよ」
 ともに伴侶を亡くして独り者の麗子ばあさんと大輔じいさんはたいそう仲がよくて、町で公認のカップルといってもよいほどだった。あるとき、大輔じいさんがどういう経緯でか隣町の紗香ばあさんとお茶を飲んだことが明らかになった。それで優子ばあさんは大輔じいさんの家にのりこみ、裏切り者とののしり、麗子さんは二度とあんたの顔なんか見たくないと言っていると、たんかを切って立ち去った。麗子ばあさんは優子ばあさんに心からの感謝を述べ、その後、大輔じいさんから何度電話がかかってきても、メールがきても応じることはなかった。
 ある日、優子ばあさんのもとを美里ばあさんが訪ねてきた。麗子ばあさんと一緒ではなかった。美里ばあさんは怖い顔をしていた。長いつきあいだが、優子ばあさんはいまだかつて美里ばあさんのそんなに怖い顔を見たことはなかった。そもそも、気弱な美里ばあさんが怖い顔などするはずもなかった。美里ばあさんはその怖い顔で優子ばあさんをにらんで言った。「あなた、麗子さんの気持ちわかってる? 麗子さん、三日三晩泣き暮らしたのよ。大輔さんへの気持ちと申しわけなさとで、食べ物も喉を通らなかったんだから」そして、うろたえる優子ばあさんの目をのぞきこみながら、優子ばあさんのつま先を踏み、体重をかけた。  
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盛々夏野菜

Author:盛々夏野菜

男性、既婚、事務系サラリーマン。
現代思想フェチだが、本を読むのが遅いのであまり多くは読めない。地底人生活を経て現在は臨床心理に関心がある。新鮮な胡瓜が好き。
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