きゅうり

 

盛々夏野菜のハードエッセイ & ショートストーリー 【思想、心理、書評、劇評、感想、あらすじ】
 

 

 
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「自分」というものの取り扱い方法に精通した達人が、初心者(年齢が上だからといって必ずしも取り扱いが上手いとは限らない)のために、思考法のの極意を指南してくれる。

メンタルの強さとは、「逆境に負けない強靭な意志」ではなくて、自分が楽しいと思うことをやり、自分なりのリラックス法を持ち、自分の目標を具体的に意識していることであろう。

そして、「マスト(ねばならない)」から「俺は…したい」という思考法への転換が重要だ。なぜなら、「ねばならない」ことは他者の価値観に従うことであり、自分の人生を生きていないことだからだ。
本書を読んでこの事実が理解できたとき、肩の力がスーっと抜けていくのがわかった。
これまでの俺は、「ねばならない」ことは、不本意ながらも天命のように受けいれねばならないと思っていた。しかし須藤氏はそれを「他者の価値観」と喝破する。だとすると、他者と俺は同等だから、俺は自分で「選んでいい」のだ。この余裕が持てれば、たとえ「ねばならない」ことに従うことを選択しても、俺は俺の主体性を失うことなく、しなやかに振る舞っていられる。

風の谷のあの人と結婚する方法 (幻冬舎文庫)風の谷のあの人と結婚する方法 (幻冬舎文庫)
(2008/08)
須藤 元気、森沢 明夫 他

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テーマ * 書評 ジャンル * 本・雑誌

 

 

 

 
ニュースを観ていると、今の民主党は国民の味方ではなく、財務省や、東京電力や、米国防省の味方であることが日に日に明らかになってくる。恥ずかしげもなく、国民とは反対の方向を向いた政策をとりつづけている。
もはや民主党には何の望みももてない。
かといって自民党はどうかといえば、自民党政権はそもそも官僚・財界・米国を後ろ盾とする政権であった。
唯一の頼みの綱は小沢新党だけど、政治手腕を発揮する以前に、国を挙げてのバッシングの嵐に対抗するため、相当なエネルギーを使わざるをえない。
北朝鮮では金正恩氏の側近が突然失脚し、恐怖政治が続いているかのように報道されているが、決して対岸の火事ではない。日本では、上記のような官僚・財界・米国中心の政治を変えようと奮闘している政治家を、冤罪とわかっている罪状で裁判に縛りつけ、政治生命を奪おうとする画策が、公然と行われているのだから。

国民不在の報道を続ける大手マスコミも罪深い。官僚・財界・米国に有利な報道ばかりを垂れ流し、ときどきガス抜きのために官僚批判の真似をしてみせるだけ。戦前の彼らが大政翼賛にこれつとめ、日本という国を破滅に向けて暴走させた時と、体質は変わっていない。

必要なことは、俺たち国民が、テレビや大新聞の(コントロールされた)情報を絶ち、自力で情報を集めて選挙に臨むことだ。今の時代、それは十分に可能なのだから。 

 

 

 

 
ミルトン・エリクソンの勉強を始めた。
天才的精神科医・心理療法家であり、心理療法の歴史を塗りかえた巨人である。
今の俺は、エリクソン先生の仕事を要約したり、論評したりするレベルには程遠い。

しかし、今回紹介するエピソードは、心理療法に関心をもたない人にも知らせたいと思った。
医療というものについて、そして家族というものついて、俺たちの抱いている固定観念を打破し、傷ついた人にとって本当に必要なものは何かという重いテーマについて、再考を迫るエピソードなのだ。

それは、エリクソンの息子ロバート(当時7歳)が交通事故で瀕死の重傷を負い、入院したときのこと。エリクソンは家族にこう言った。「ロバートは大怪我から回復するという、非常に大変な仕事に取り組んでいるので、病院でひとりにしておいてやるべきだ」
エリクソンの考えでは、家族がロバートを見舞うと、彼の多くのエネルギーを奪ってしまうのであった。
四か月後、退院してきたロバートは言った。「こんな両親を持って、ぼくは幸せだ。一度だって病院に来やしなかった。ほかの気の毒な子どもたち。彼らの親ときたら、午後になると毎日やってきて、子どもたちを泣かすんだ。それから彼らは夕方にもやってきて、かわいいそうな子どもたちはまた泣かされた。特に日曜日はひどかった。ぼくはそんな親たち、子どもをそっとしておいてやらない親たちが、大嫌いだった」
そして、このエピソードについてエリクソンはこう結論づける。「入院している患者たちは、彼らの体力を健康回復のために使う必要があるのであって、元気で健康な親戚の人たちの機嫌をよくするために使われるべきではありません」

このエピソードは、次の本の末尾近くに掲載されている。

私の声はあなたとともに―ミルトン・エリクソンのいやしのストーリー私の声はあなたとともに―ミルトン・エリクソンのいやしのストーリー
(1996/10)
シドニー ローゼン、 他

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靴

俺としては最近ようやく理解に至ったのであるが、靴のフィッティングにとって最も重要なポジションは、つま先でも紐でもなくて、図の網点で示した部位であるようだ。
つたない図でわかりにくいが、断面はカマボコ型をしている。

では今回のブログの最初の仕事として、この部位に名前をつけておきたい。以下の記述で何度も言及することになるからだ。
対応する専門用語があるのかもしれないが、不勉強にして知らないので、カマボコのKを取って仮に「Kスポット」と名づけておく。
このネーミングには実は問題がある。「スポット」と言えば「点」のことだが、ここで言う「Kスポット」は「面」だからだ。しかも「面」といっても平面的な「面」ではなく、帯状で、中が空洞の「面」である。ヘアバンドの髪に触れている面をイメージしてもらえばいい。
しかし、フィッティングに際してこの部位が果たす機能的役割を重視し、ここでは「スポット」で押し通す。

ところで、人間の足先は「厚み」の方向でも「幅」の方向でも「先細り」の形状をしている(厳密にはそうではないかもしれない。ここでは「傾向として」先細りの形状であると理解していただきたい)。
「厚み」の方向では、足の甲からつま先にかけて「厚み」が減少してゆく「くさび形」である。
「幅」の方向では、「母趾の付け根、その先端、そして第二趾の先端を結ぶ、わずかに傾斜した辺」と、「小趾の付け根から先端に向かう傾斜のラインと、その延長線上に位置する第四趾、第三趾、第二趾の先端を結んだ辺」が、第二趾の先端を頂点とする「不等辺三角形」を形成する。
これら二つの方向が合わさって、足先は三次元的に先細ってゆく。

さて、靴の形状も足と同じ「先細り」であるから、靴に足を挿入して先へ先へと進めるとき、「母趾の付け根から足の甲を通って小趾の付け根へと至り、さらに足裏を経由して母趾の付け根へと戻る帯状の部分」が、靴の内側の革とインソールの形成する帯状の面に接して止まり、それ以上前へ進めなくなるポジションがある。これが「Kスポット」なのだ。
ここでとりわけ重要な事実は、靴と足が「点」でも「線」でもなく、「面」で接触していることだ。もし点や線で接触していたら、強い圧力がかかり、長い時間の間には激痛を発するだろう。

そして、足の前進運動が(靴の先端ではなく)「Kスポット」で止まった状態で、踵がカウンター(踵部分の革)に接して安定していれば、それがフィットした靴である。踵とカウンターの間に空間があれば「ゆるい靴」であり、「Kスポット」とカウンターの間に足が挟まれて痛みを発すれば「きつい靴」というわけである。

こういうわけで、「靴の先端部位」は、靴のサイズを語る上で重要でない。靴の中における「足の先端」の位置は、上記の部分が「Kスポット」に接して止まったときに「つま先」のある位置として二次的に定義され、「靴の先端部位」の位置や形状に制約されない。もちろん、「Kスポットに接した部分から先」が十分収まるだけの余裕は必要である。

とはいえ、「靴のサイズおよび形状」と「足のサイズおよび形状」の組み合わせは無限にあり、たとえ同じ靴でも履く人が変われば「Kスポット」の部位(靴側)も「Kスポットに接する部分」(足側)も前後に移動する。「靴のサイズ」の決定因子(Kスポット)が、個々の足と出会うまでは決定されない。ここが「靴の科学」のわかりにくさなのだ。

さて、以上を踏まえて「紐付きシューズ」について簡単に考察する。
紐付きシューズの紐を締めつけると、断面の輪(カマボコ)が小さくなる。よって、足を入れて前へ前へと進めるとき、紐をゆるめた場合よりも早く足は止まる。「Kスポット」が後方(踵方向)に移動したわけだ。
こうして「Kスポット」とカウンターの間の距離が短くなり、足は前後に挟まれるので「きつい靴」になる。
したがって、靴のサイズを十分に活かすためには次のようにすればいい。

1.紐(特に最もつま先寄りの紐)を十分にゆるめる。このとき、最もつま先寄りの紐はU字型に直立している。

2.両手を靴の中に入れ、左右に開いてゆく。ただし無理な力は加えぬこと(革自体が伸びるのではなく、紐がスライドすることによって靴が左右に開くように)。そして、最もつま先寄りの紐が平らになる(または平らに近くなる)ように意識する。

3.靴に足を入れる。

4.つま先寄りの紐から順に締めつけてゆく。

5.最後の結び目を作るところは、甲が痛みを発しないように、靴(甲)から少し浮かせた状態で結ぶことができればなおよい。

6.紐の締めつけ圧力による甲の痛みを防止するには、脱ぎ・履きのたびに紐を結び直すのではなく、紐は結びっ放しがいいと思う。紐の締めつけ圧力は線状の力であり、痛みの原因となりうるが、靴を脱ぐ瞬間や履く瞬間にかすかに革が伸びて、線状の圧力が面に解消されるのだ。せっかく痛みの原因が解消されたのだから、わざわざ紐を結び直し、線状の圧力をかけなおす必要はない。

ところで、この理屈で行くと大きめの靴でも紐で調節が可能な気がするが、それはおすすめしない。紐の力で狭められた輪(カマボコ)は弱い。足の前に進もうとする力が持続的にかかれば、突破されてしまい、踵に隙間が空いてしまう。逆に、突破されないほどに強く紐を締めつけると、足の甲が痛くて耐えられなくなる。結局のところ、適正サイズの靴を選ぶことが重要なのだ。 

 

 

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盛々夏野菜

Author:盛々夏野菜

男性、既婚、事務系サラリーマン。
現代思想フェチだが、本を読むのが遅いのであまり多くは読めない。地底人生活を経て現在は臨床心理に関心がある。新鮮な胡瓜が好き。
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