きゅうり

 

盛々夏野菜のハードエッセイ & ショートストーリー 【思想、心理、書評、劇評、感想、あらすじ】
 

 

 
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・「気が利かない」を禁句にしよう

正面きって要求すれば、きっと露骨にイヤな顔をされる、そういう無理難題を、相手にすんなりと受けいれさせる魔法がある。それは「気が利かない」という呪文だ。相手と対面して言うこともできるし、噂として流すこともできる。
これを言われると、相手は罪悪感を感じ、自分のどこがいけなかったのかと自問しはじめる。その結果、こちらの思うがままに操られる。

このやりかたはキタナイ。
価値観が違うなら、ネゴして調整すればよいのだが、この方法では、要求側の価値観は試練にさらされることなく常に正しく、相手は常にマヌケということになってしまう。
そして、相手は心から納得していない要求を押しつけられ、心身をすり減らしながらそれに応えなければならなくなる。

しかも相手は、それまで自分の良心と良識にしたがって実行してきた仕事を、ある日突然、極悪非道の所業と宣告されるのだ。カフカ的恐怖だ。
方針を変えるなら変えると予告すりゃいい。そうすれば、心の準備もできるし、納得がいかなければ抗議することもできる。
もっとも、「気が利かない」と言う側には、そんな気はなさらさらない。そんなことをすればおのれの価値観を守れないからだ。こちらは、おのれの価値観に普遍性がないことにうすうす気がついている。

その結果どうなるか? 相手は不本意な仕事を強要された恨みを抱き、こちらはその敵意を察知してますます意固地になる。敵意の連鎖となり、双方の心身が蝕まれていく。周囲の人間関係も破壊される。

この悪循環からどうすれば抜け出せるだろうか?

要求側について、今の俺には答が見つからない。そこまでして相手を従わせたいと思わせる、深い心の闇を扱わなければならないからだ。

相手側については言えることがある。
まず、「気が利かない」というフレーズに反応しないこと。それは彼を引っかけるための罠であり、彼が本当にマヌケであることを意味しない。
そして自分の価値観を守ること。仮に要求に従わざるをえなくなったとしても、自分の価値観まで変えないこと。そして機会があれば、さりげなく、価値観の議論(注1)に持ち込むこと。価値観のレベルにまで議論を引き上げれば、立場は相対的となり、一方的に非難することはできなくなる。

ところで、今回語った人間関係の病理は、必ずしも「気が利かない」というフレーズを必要とするわけではなく、さまざまなヴァリエーションがありうる。いちはやくこの病理の兆候を察知し、回避策を打てるように、その形態を定式化しておきたい。

「前提となる価値観の議論を抜きにして、いきなり相手を非難しはじめる心理トリック」

しかし、今の俺は読者の皆さんに推奨できる有効な回避策を持ち合わせていない。今後、それらを語れるときがきたらあらためて論じることにしたい。しかし、すくなくとも形態を認識することは、現象を客観視し、距離を置くための第一歩である。

(注1)プラトン(ソクラテスの対話篇)を研究すれば、この議論の役に立ちそうな気がする。 
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早稲田大学演劇博物館主催の演劇講座『座談会 つかこうへいの70年代』を聴くため、大隈講堂に行ってきた。
講師は風間杜夫、平田満、根岸季衣の3人で、司会は扇田昭彦さん。

演劇講座といっても、話題の大半は、つかさんの特異な人物像をめぐるエピソードであった。

俳優の内面まで踏み込む演出で、最高のパフォーマンスを引き出すかと思えば、一方では自分の演出によって脚光を浴びた俳優に嫉妬し、ふてくされる。
俳優からまきあげた金や、木戸銭箱から掴み取った入場料で食事を振る舞う。

彼の人生のキーワードは「潔(いさぎよ)さ」ではないかと思った。
良くも悪くも、行動が徹底していて潔いのだが、そのいわゆる「潔さ」が度を超えている。
自分の無様な姿を決して人に見せまいとして、やせ我慢を貫き、つねにハイテンションを維持し、アドレナリンを出しきった人生。この過剰に演出された生きざまが、彼の最大の作品だったと言いたくなる。
穏やかに生きられない人だったということはわかっているが、それにしてもなんという苦しい人生だったのであろう。おのれの美学を貫徹するために他の一切を犠牲にしていたようにみえる。聴いていて、痛々しく思えてきた。
しかしその評価は措こう。芸術家は彼の生きかたで評価されるべきではない。

惜しいと思うのは、すぐれた書き手である彼が、「口立て」の手法にこだわったために、書斎で劇作する営為を手放してしまったことだ。
才気にあふれ、疾走感のある実験的作品が、必ずしも、強固な構造をもつ古典的作品より優れているとは限らない。つかさんの作風ならば、むしろ、構造を強くすることによって、いっそう起爆力をもてたのではないか。
決して構造を扱うことが苦手な作家ではない。本来はうますぎるくらいに達者な作家だから、作品数の少なさが惜しいのだ。ほとんどが旧作の焼き直しという彼の上演スタイルは、宝の持ち腐れだったと言えないか。

もうひとつ残念なのは、彼が「一回性の演劇」にこだわって、映像を残さなかったことだ。
三十年とすこし前、はじめて『熱海殺人事件』と『初級革命講座飛龍伝』を観たときの鮮烈な印象と感動は今でもはっきりと憶えている。しかし記憶にだけ残っていて、映像で二度と観られないことはあまりにも寂しい。
つかさんの作品に限らず、当時、「一回性の演劇」という流行のフレーズのために、多くの優れた舞台が映像化の機会を逃してしまった気がする。 
テーマ * 演劇 ジャンル * 学問・文化・芸術

 

 

 

 
群馬県藤岡市の関越自動車道で7人が死亡したツアーバス事故で、自動車運転過失致死傷容疑で逮捕された千葉市中央区新宿、運転手河野化山(かざん)容疑者(43)が、休息のため石川県内のホテルに滞在中、中国人向けツアーの手配をしていたことが3日、バス運行会社の関係者らの話で分かった。
群馬県警は、河野容疑者がツアー手配のため十分な休息を取らなかった可能性もあるとみて、詳しく調べる。
(以上、読売新聞 5月4日(金))

十分な休息を取ったか取らなかったか、警察がそれを捜査するのは当然である。
しかし、マスコミにリークすることは別問題だ。
容疑があろうとなかろうと、俺たち日本人には、プライベートな時間の過ごし方を勝手に公開されない権利がある。
容疑が固まったら黙って送検すればいいのであって、マスコミを使って社会的に制裁することは警察の職務ではない。司法の領域に踏み込む越権行為である。
そして、リークされた内容を無批判に垂れ流す大マスコミはいっそう罪深い。むしろ、世論操作のための深刻な人権侵害として告発すべきではないのか?

警察とマスコミ、この両者における人権意識の希薄さは重症である。彼らは自分のプライバシーをガラス張りにされたらどう思うだろう。しかし、彼らにとって法の下の正義よりも上司の顔色の方が優先度が高いのであろう。生活がかかっているからね(だとすると、正義を優先した方が得をする仕組みが必要である)。

警察と大マスコミの談合によって、一旦容疑者と名指された者は人権を剥奪され、プライバシーを晒される。容疑者にもあるはずの法律上の権利は、新聞を読みテレビを視る大衆(つまり俺たち)の「知る権利」をアリバイにして蹂躙される。こうして決して告訴されることのない違法行為が堂々とまかり通る。
その背後で、バス会社、旅行会社、いやそれよりも、過剰な規制緩和を実行して今回の事故の原因を作った巨悪である旧政権のリーダーは免罪されるのだろうか。 

 

 

 

 
何気なく読み始めた書物を、途中まで読んだところで、おお、これは名著だと確信するときがある。その瞬間から、一気に読書スピードが落ちる。一字一句読み飛ばすまいという心理から自然に丁寧な読み方となり、一方では先に進むのが勿体なくなって少し読んではボーっとし、また少し読んではボーっとする。

本書がそれだった。前々回のブログで予告した時は冒頭1/3程度まで読んだところだった。もちろんその時点で好感触があったから紹介を予告したのだが、その時は悪書『「こころのクセ」を考える』に対抗する良書の一つという評価だった。さらに読み進んで、上記の現象に見舞われた。

著者の豊富なカウンセリング経験の精華というべき、深い洞察と即効性のある処方箋が、これでもかというほど詰め込まれている。心理学書と感じさせないほど平明な言葉で綴られているが、すこし丁寧に読めば、読者は今まで自分が苦しんできた理由を理解するだろうし、過酷な一大決心をすることなく、生きかたを変えるための行動をただちに実行できるだろう。

この2年間、俺が何十冊という心理学書から少しずつ吸収して自分のものとしてきた理論と実践が、この一冊にほとんど入っている。類書数冊分のテーマを惜しみなく一冊に凝縮し、しかも心理学を知らない読者の頭にも一読でスーッと入っていくように、表現は考えぬかれている。そして、カウンセラーとしての長いキャリアを持つ著者にしか書けない、手軽で効果的な処方箋の数々。俺もすぐ実行してみたいと思ったのがいくつもある。一冊目で本書に出会った人は幸福というほかない。むしろ嫉妬したくなる。

ベースになっている理論は、マインドフルネス、アサーティブネス、家族療法、共依存などであろうか。NLPもかな。もちろん理論のための理論に陥ることなく、問題解決のためのツールとしての扱いであるし、本文中にこれらの用語は一度も登場しない。
話題が途中で脱線し、脱線が本線になってしまうような結構の不備はあるが、そんなことは本書の価値をすこしも傷つけない。

著者の立場は「自分中心心理学」。自己チューではない(自己チューはむしろ他者中心の思考法により過剰に防衛的・攻撃的となった人のこと)。
しかし俺はここで下手な要約をして皆さんが本書を実際に手に取る機会を邪魔したくない。
しかも、簡潔にして練り上げられた記述。俺の出る幕などないのだ。

というわけで、以下では、本書がどんなにすごいか、その片鱗に接していただくため、章・節タイトルの名称や、なるべく短い抜き書きを、箇条書き形式・ページ番号付でお目にかける。気になる部分は、ぜひ本書に直接当たって理解してほしい。


・「私にとって、どっちがいいだろうか」このつぶやきは”思考”ですね。「私は、これがしたい!(あるいは、したくない!)」これが”感情”です。……自分の気持ちや感情を脇に追いやったままで、適切な判断をすることはできません。なぜなら、あなたの”感情”がそれに抵抗するからです。032

・いまこそ「私」が心地よい生きかたを選ぶ! 061

・「他者中心」だと身も心もヘトヘトに…… 068

・そんな感情を抑えて平気なふりをして、やり過ごそうとすればするほど、あなたのマイナス感情は解消されずに増大していきます。 071

・もっと自分で自分をいたわってあげよう 078

・「ああ、こんな感じが、自分の感情を受け入れるということなんですね」 079

・「相手が正しいかどうか」は関係ない 082

・もし、あなたが「相手を傷つけたくない。私も傷つきたくない」という状態に置かれたとき、あなたは、どちらを選択するでしょうか……こんなときこそ、相手の気持ちや一般常識よりも、あえて、自分自身の気持ちを優先することに挑戦してみましょう。 088

・どんなに絶世の美女であっても、その美貌で、さまざまな特権を享受していたとしても、「私は、私を愛するために行動する」という、自分中心的な能動性なしには、自己信頼は育ちません。 118

・「私がラクか苦しいか。好きか嫌いか。気分が良いか悪いか。からだがラクかきついか。それをしたいかしたくないか」 132

・責任は「私が決めた範囲」で取ればいい……それ以上の責任は、取る必要もなければ、感じる必要もない、ということです。 154

・「悩みの種」をつくるパターンの一つに、相手の心の中を探ろうとして、それで頭の中がいっぱいになってしまう状態があります。他者中心の典型ですね。 171

・引きずらないで相手に「聞く」……あなたの悩みは、”聞く”ことで、一瞬にして、消えてしまうでしょう。 173

・<聞くための勇気を育てる処方箋> 174-7

・……自己信頼……この感覚の分量が多いほど、運もよくなっていくと、ほんとうは誰もが経験的に知っているはずです。 183-4

・クヨクヨ思考が止まる!「つぶやき」レッスン……「私」を受け入れる言葉を唱えよう。186-8

・自分中心になるにつれて、悩みが解消されるだけでなく、幸せも、成功も、経済力も、すべて、あなたの至近距離にあるのだと、気づいていくでしょう。 195

・「責任を果たそうとすればできたはずなのに、後回しにして責任を取らなかった」という、この「うしろめたさ」が、正当にお金を得るチャンスを妨害してしまうのです。その罪悪感から、わざと、お金を得ないほうへと自分を導くのです。……私の責任を果たす。この「責任を果たす感覚の気持ちよさ」を実感することが、「収入を得てもいい意識」を育てます。その意識が、自動的に「収入を得る行動」となっていきます。 199-200

・「女王様の気分」テクニック 203-4
・「私から相手に頼む」レッスン 208-9
・「ありがとう」を”私への感謝”として使う 213-4
・「ごめんなさい」を、心理的な貸し借りをなくしてチャラにし、罪悪感を感じないために使う 214
・不当な「関係性」を変えるレッスン 218-20


抜き書きしていて、俺自身が実践できていない項目にいくつも気づいた。当分座右に置いて、読み返すことになるだろう。

「つい悩んでしまう」がなくなるコツ「つい悩んでしまう」がなくなるコツ
(2009/09/11)
石原 加受子

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指定弁護士の天方徹(あまかたてつ)弁護士は「検察審の負託は(判決の)確定まで続くと思う。(控訴や上告をせず)途中で事件を終わらせる権限こそ(指定弁護士には)ないのではないか」と話す。(毎日jp)

では「検察審の負託」とは何なのか。

検察審は、検察のデッチ上げ捜査報告書を信用して強制起訴を決定した。その捜査報告書は一審で証拠採用を却下された。その時点で強制起訴の根拠は消滅した(そこで裁判を打ち切ってもよかった)。
にもかかわらず、なぜ控訴することが「検察審の負託」に応えることになるのか。

もし、根拠が消滅しても効力は存続するという形式主義的な詭弁をあくまでも押し通そうというのなら、指定弁護団は正義や民主主義や人権よりも法的手続を優先していることになる。

それとも、控訴を実行することが「検察審の負託」なのか。もしそうだとしたら、指定弁護団は正義や民主主義や人権よりも、狂った一機関の決定を優先していることになる。

いずれにしても、国民の負託に応えていないのは明らかだし、彼らがそんな理屈を本気で信じているわけがない。
論理的に破綻していることを十分承知しつつ、石頭のふりをして、あえて杓子定規な法解釈をとる彼らの暴挙の背景には、小沢氏の人物破壊を目論む圧力が透けて見える。

その圧力に屈することは民主主義を踏みにじり、国益を破壊する。もっとも、官報複合体の利益を「国益」と呼ぶなら別であるが。

「負託」という難解語を使って大衆を騙しおおせたつもりであろうが、かえって論理性の欠如と権力の横暴ぶりを露呈しただけだった。
俺たち大衆を騙し続ける国家権力の暴走は、ついに黄昏を迎えるのだ。 

 

 

*Template By-MoMo.ka* Copyright © 2012 まず深呼吸、一歩引いて気楽に行こう, all rights reserved.

Author:盛々夏野菜

男性、既婚、事務系サラリーマン。
現代思想フェチだが、本を読むのが遅いのであまり多くは読めない。地底人生活を経て現在は臨床心理に関心がある。新鮮な胡瓜が好き。
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