きゅうり

 

盛々夏野菜のハードエッセイ & ショートストーリー 【思想、心理、書評、劇評、感想、あらすじ】
 

 

 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 

 

 

 

 
こちらに引っ越しました。












遠く離れたおまえに

スペイン、モロッコ、ギリシャをレンタカーで回り、気分が乗った場所でマイクをセットして歌う。
街角で、広場で、海辺で、そしてアルハンブラ宮殿で。
そして10テイクがセレクトされアルバムになった。

これだけ聞くと、ただの無謀な企画盤と思われるかもしれない。

問題はそのクオリティの高さなのだ。
きよしさんのボーカル、そしてカミワザの域といっていいギターについては今さら贅言を要しない。
突然のライブに聴き入る現地のひとびとのかけ声、子どもたちが遊び戯れる声、さらには、通りかかった羊の群れの鳴き声と鈴の音……すべてを効果音として取り込み、またとない「サウンドの小宇宙」を現出させている。
それゆえ、このCDを聴いていると、どの楽曲も、ここに収録された時間と場所以外では決して成立しえなかったような気がしてくる。
そして録音のよさも忘れてはならない。

オリジナル6曲と訳詞4曲のどれもすばらしく、ワールド・ミュージックの先駆けといわれるきよしさんの面目躍如たる代表作である。

さて、オリジナルLPは、キングレコード傘下に音楽プロデューサーの 兼松”Flash”光 さんが立ち上げた「フラッシュレコード」から1979年に出ている。

その後、1992年に「アナザー・ドア」との2 in 1アルバムとして初CD化されたようだ。しかし全曲は入らず、3曲カットされた。
しかも俺が気がついたときには廃盤になっていた。

2005年、上記の兼松さんが立ち上げた「フラッシュポイントレコード」からデジタル・リマスターで完全復刻された。LPリリース時に高校生だった俺は高校生の父になっていた。

最初はきよしさんのライブ会場と、フラッシュポイントレコードのオンラインショップでしか買えなかった。

このCDのすばらしさと歴史的意義を確信していた俺は、生意気にもフラッシュポイントレコードwebサイトのメールフォームからメジャー発売のお願いを投稿した。
そして、上記の兼松さんから採算面で難しい旨のお返事をメールでいただいた。
メールの内容にはがっかりしたが、あこがれのプロデューサーからじきじきにメールをいただいたことがやけに嬉しかった。

ほどなくアマゾンでも買えるようになったがインディーズ扱いであった。また、このCDがCDショップの店頭に並ぶことはついになかった。

そして、2011年9月現在、フラッシュポイントレコードwebサイトは閉鎖されている。アマゾンの在庫もない。
ぜひ何らかの形で再発してほしい。この名作を埋もれさせたくない。

遠く離れたおまえに
 
スポンサーサイト
テーマ * j-pop ジャンル * 音楽

 

 

 

 
松屋と言っても牛めしの松屋の話だ。
またしてもファーストフード・ネタだ。俺の生活ぶりがばれてしまいそうで気が進まないが、当ブログにうってつけの話題なのではずすわけにはいかない。

さて、俺は牛めし弁当(持ち帰り用の牛めし)を注文した。
持ち帰りの先客が3組いた。

この日のフロア係の青年は、注文品ができあがってスイングドア(腰の高さの)の中から「おまちどうさまでした」を言うまではよいのだが、そのまま商品の袋をささげ持って立ち、客が取りにくるのを待ちうけている。だから商品を手渡すのはスイングドアごしなのだ。

これがカウンターなら理解できる。しかしスイングドアであるから、客を呼びよせずとも自分が出てきて客のもとへ馳せ参じることができるはずなのだ。
実際、この青年もイート・インの客のところへは飲み水も料理も届けているのだから、同じ要領で対処すればよいのだが、どうもこの2つの回路がうまくつながらないらしい。

先客3組がスイングドアの前まで呼びよせられるのをながめていて、俺はむっとした。
(もっとも、前回のエントリをご覧の方ならば、俺の「むっ」はあまりあてにならないことがおわかりであろう。)

それで、俺の順番がきたら何を言ってやろうかと知恵をめぐらした。

1. 罵倒篇:「おまえ、非常識だな。こっちが客なんだから持ってこいよ」
2. イヤミな紳士篇:「君ねえ、金払ってるのはこっちなんだから、君がここまで届けたまえよ」
3. 説諭篇:「あのさ、こういうときは自分が出てきて届けるものだよ」

しかし、どれもしっくりこないのだ。

というのは、3つとも店員に対する客の優位性を不動の真理として前提しているのだが、その前提がうさんくさいと思ったのである。
たしかに、商売を有利にすすめるため、客の下手に出て支持を得ようとすることは、処世術としては正しい。
しかし処世術であって道徳的真理ではない。
だから、どうするかは当人が選んでよい。当人が客の支持を得る必要を認めなければ、どうしようと勝手なのだ。また、客の支持を得るのに他の方法があるならばそれでよい。
つまり、客は客というだけでエライわけではない。店員自身が、客であるあなたの支持を得たいと主体的に考えたときにだけ、あなたは彼の配慮の対象となる。主体性は彼の方にあるのだから、客である自分の優位性を暗黙の前提とした命令やアドバイスは、彼にとって大きなお世話であろう。

こうして、俺が青年に対してできることは、対等な個人としての希望の表明だけである。
こう結論を出した。
そして、スイングドアの中で待っている青年に俺は言った。「ここまで持ってきてくれると嬉しい」
もちろん、彼はすぐ持ってきてくれた。

付記
アサーティブネスの概念を正確に述べることは素人の俺には難しい。
そこで、俺自身もお世話になった優れた入門書を紹介したい。

図解 自分の気持ちをきちんと「伝える」技術―人間関係がラクになる自己カウンセリングのすすめ図解 自分の気持ちをきちんと「伝える」技術―人間関係がラクになる自己カウンセリングのすすめ
(2007/05)
平木 典子

商品詳細を見る
 
テーマ * 心と幸せ ジャンル * 心と身体

 

 

 

 
先日、昼の混雑真っ最中のマクドナルド店内で、オーダーの順番待ちをしていたときのことである。
うしろから男性があらわれ、そのままカウンターに歩みより、ストローのささった紙コップをさし出し、店員に交換を要求した。
会話は聞き取れなかった。だから、コップの中身がオーダーと違っていたのか、それとも「おかわり」を要求したのかはわからない。店員がコップを受け取ったから、要求に応じたことだけはわかった。

見ていて俺はちょっとむっとした。行儀が悪いと思ったからだ。
しかしすぐに考えた。
交換を要求したことは別にまちがっていない。だとすれば、店内が混雑していて、店員がてんてこまいしていても遠慮する必要はない。
それに、中身が違っていたのなら店側に非があるのだから、交換を要求するためにわざわざ列の最後尾に並ぶ必要もない。

さらに考えた。
仮に「おかわり」の要求だったとしても、店側にそれを受け入れる用意があるのなら、その要求は正当である。
その場合、もし要求しない人がいるとしたら、それはもともと必要を感じなかったか、要求するのが面倒だったかのどちらかであって、要求しないことが道徳的に正しいからではない。
それに、食後のひとときを延長するためにおかわりするのだから、わざわざ最後尾に並んでその楽しみを中断する必要はない。堂々と横入りすればいいのである。

ここまで考えてきて、最初むっとした俺は、むしろ内心拍手したいような気持になっていたのだ。

ところで、オーダー待ちの列はつづき、店員たちは目の前のオーダーを処理するのに必死で余裕がなく、彼の要求は放置された。彼は辛抱強く待っていたが、やがてイライラしはじめ、ついに「いつまで待たせるんだ」と叫んだ。

それで俺はちょっとがっかりした。カウンターすれすれに陣取っている彼にはカウンター内の作業状況が見える。つまり彼の要求が放置されていることは明らかであ り、黙って待っていても着手される望みはない。それならば、待ちつづけて最後に爆発するよりも、さっさと作業を促すほうが得策である。
爆発して叫ぶことは相手にもダメージはあるが、じつは彼自身が一番ダメージを受ける……脈拍の増加、荒い呼吸、筋肉のこわばり、胃の痛み。

しかし、ここでこの男性の話題からは離れよう。彼の行動のよしあしを論じているように見えるのは本意ではないから。

俺が述べたいのは次のことだ。「空気を読む」ことを重視する文化の中に生きるわれわれは、正当だが傍からはわかりにくい要求をするとき、「むっとする」群衆 を敵にまわし、孤独感にさいなまれ、緊張を強いられるのではないだろうか? それで冷静に対処する余裕を失い、爆発という悲劇的な解決を指向しやすくなっ てしまうのではないだろうか?

そしてこうも考えられる。われわれは、空気を読み、利害の対立に至らせないための作法はいくらでも知っているが、利害の対立に至ってしまったときにそれを調停する作法については無知なのではないだろうか? それで、苦し紛れに、怒りの爆発に至るのではないだろうか? 

ここからは、まどろっこしいので疑問形をやめる。

やがて「怒りの爆発」は「唯一の対処法」として定着し、要求を通すためのパフォーマンスとして浸透してゆく。
しかし自分にも相手にも高くつくパフォーマンスだ。

両方の当事者にとって「怒りの爆発」はコミュニケーションの拒否である。爆発した方は孤独と緊張と悲劇的な気分にとりつかれて憩うことができない。一方で爆発された方は、爆発を繰り返されることが面倒なので、要求のよしあしを問うのはやめ、とりあえず受けいれてしまう。結局誰も得をしないのだ。
こんなものをわれわれの民族性と言ってすますわけにはいかない。もっと気楽で、うちとけて、皆が幸福になれるやりかたがきっとある。 
テーマ * 心と幸せ ジャンル * 心と身体

 

 

 

 
先週、LUMIX携帯の壁紙設定について語った。

今回は着メロ編である。

音声着信音、メール着信音、アラーム音をカスタマイズしたくなった。
固定データだけでは当然満足できず、外部音源を探そうと思いたつ。

着メロサイトに接続すればダウンロードできることは知っていた。
しかし…。
携帯の小さな画面でお気に入りの音源をさがし出すのは大変だろうな。
ダウンロードは時間かかるんだろうな。
通信料かかるんだろうな。
こんな雑念が入ってきた。

要するにただの食わずぎらいなのだが、とにかく、PCで手っ取り早くゲットしようという気になった。
ところが何の知識もない。手がかりもない。
それで固定データの羅列された画面をあてもなくながめていた。
すると、固定データのアイコンの中に、老眼のはじまった俺には読めるか読めないか微妙なところなのだが、かろうじて「SMAF」という4文字が見えた。

さっそくググッてみる。それで知った。ソフトバンクとauで採用されている着メロは、ヤマハの開発した「SMAF」というきわめてデータサイズの小さい音楽フォーマットであったのだ。ちなみに拡張子はmmf。
そんなことも知らずにいたのがショックだった。

さて、ヤマハの SMAF Global サイト には、作曲用のツール、ボイスライブラリ、各種コンバータが無料でおいてある。
もちろん俺には敷居が高すぎてほとんどはパスなのだが、ただひとつ、WAVをSMAFに変換するコンバータ は使えると思った。なぜって、CDさえあれば、このコンバータで着メロがつくれるのだから。66秒という制限はあるけれど。

(少し詳しく述べておこう。Media Player や iTunes を使ってCDをWAV形式で取り込み、取り込んだ拡張子wavのファイルの在り処を探しておき、当コンバータでこのファイルをSMAFに変換すればよい。)

さらに、MP3でもWMAでも Any Audio Converter でいったんWAVに変換しておけばいいわけだ。つまり大抵の音楽ファイルは着メロになる。

もうひとつうれしいことがあった。先ほどのヤマハのサイトには、ワールドミュージックコレクション と題して、SMAF形式の音源が30曲以上おいてある。どれもていねいな作りであり、ダウンロードして携帯にメール送信すればすぐに着メロとして使える。

最後に念のため手順を確認しておく(Windowsのみ。失礼)。

1. 上記の「ワールドミュージックコレクション」からSMAFファイルをダウンロードする。またはWAV形式のファイルを上記のコンバータでSMAF形式に変換する。どちらも拡張子mmfのファイルが得られる。

2. ここがツボだ。ファイル名をできるだけ短く、判別しやすい半角英数の名前に変更する。これがまぎらわしいと着信音設定の時に見つからない。

3. そのファイルを右クリックし、[送る]―[メール受信者]を実行する。メーラーが起動するので宛名を携帯のアドレスにして送信する。

4. 携帯側で受信した添付ファイルを「メインフォルダ」に保存する。

5. 着信音設定で、データ元「メインフォルダ」を開き、目的のファイルを指定する。
 
テーマ * 着メロ ジャンル * 携帯電話・PHS

 

 

 

 
こちらに引っ越しました。













スニーカーダンサー


本人がそう語っているわけではないが、当時、天才・井上陽水が取り組んでいたテーマは「意味からの離陸」であった。
シュールな歌詞が圧倒的な起爆力をそなえ、意味の呪縛から飛び立った得がたい瞬間の記録がこのアルバムだ。

残念ながらこの飛翔は長くはつづかない。それはつかの間の奇跡であって、やがて落下する時がやってくる。

というのも、いかにしてこの前人未踏の境地に到達しえたかは当人にも謎であり、それを再現しようと意識しはじめたとたん、シュールな歌詞の背後にありふれたメタファーがしのびこみ、やがて歌詞そのものも紋切型におちいってゆくからだ。天才・井上陽水でもそれは避けられなかった。
本作につづく『EVERY NIGHT』、『あやしい夜をまって』、『LION & PELICAN』、『バレリーナ』はそのような過程を示しているとみることもできる。ただし、これらも並のアーチストに可能な作品ではないのだが。

『スニーカーダンサー』にもどろう。
強烈なインパクトを持つ「3.事件」、「6.なぜか上海」もいい。
コミカルなタッチの「2.Mellow Touch」、「8.娘がねじれる時」も聴かせる。
しかし、最大の聴きどころは、シュールな歌詞が倫理性と切り結ぶ傑作群、つまり、竹田青嗣先生が『陽水の快楽』で激賞した「4.今夜」、小室等が絶賛した(陽水談)という「5.ジェニー My Love」、久保田利伸がカバーしている「9.海へ来なさい」、そして「10.勝者としてのペガサス」であろう。
もちろん、通して聴くのが一番だ。

スニーカーダンサー[SHM-CD]
スニーカーダンサー
陽水の快楽―井上陽水論 (ちくま文庫)
Gold Skool
 
テーマ * j-pop ジャンル * 音楽

 

 

 

 
ジャンプ  

ブレア・ラビットの物語を題材としたミュージカル仕立てのコンセプト・アルバム。
音楽の楽しさを心から味わえる1枚である。

ロックを基調としながらも、ホーン、ハーモニカ、バンジョー、スティール・ドラムなどの多彩な楽器で豪華絢爛なサウンドが繰り広げられる。
そして子供から大人まで楽しめる親しみやすいメロディ。俺は決してそういう趣味ではないのだけれど、このCDにはやられた。まいった。
音楽の批評をやる力がないので、こうして印象を書きつけることしかできないが、せめてこのCDに出会えた幸福に感謝したい気持ちであることは述べておこう。感謝なんて俺の柄ではないのだが。

ジャケットは2種類あって、上の写真は初期のLPジャケットを復刻した限定盤のもの。

Van Dyke Parks "JUMP! " 国内盤の発売元はワーナー・ミュージック・ジャパン

ジャンプ!<紙ジャケットCD>


 
テーマ * 洋楽 ジャンル * 音楽

 

 

 

 
「絶対に言ってはいけない一言を言ってしまった」とか、「彼は社会人として失格だ」とか。
俺たちはよくこういう断定的な表現を使ってしまう。
そんなとき、俺たちは真理を述べているというよりは、強い不満を表明し、共感を得ようとしている。
しかし、厳密には「絶対に言ってはいけない一言」などというものは存在しないし、「社会人として失格な人」は一人もいない。

こういう表現の有害な点は、そのように言われることの恐怖により他者の行動をあやつることができるところだ。
いや、いっそう有害なのは、自分自身がこれらの表現を真に受けてしまい、そのような誹りをうけない人たらんとして汲々としたり、「俺は絶対に言ってはいけないことを言ってしまったのではないか?」「俺は社会人として失格なのではないか?」と考えて罪悪感にとらわれたりすることであろう。

もう一度確認しておこう。
気をつけるにこしたことはない。
しかし、厳密には「絶対に言ってはいけない一言」などというものは存在しない。また「社会人として失格な人」は一人もいないのだ。

 
テーマ * 心と幸せ ジャンル * 心と身体

 

 

 

 
機種変更してLUMIX携帯(softbank001P)を買った。
周囲にはスマートフォンに切りかえる人が多い。俺の家族も全員スマートフォンだ。
でも今回はまだスマートフォンにする勇気が出なかった。
今回のこだわりはテンキーだった。メールの打ちやすい機種が欲しく、近くのソフトバンクショップにあるサンプルを全部さわってみてこれに決めた。
LUMIX携帯だから高機能カメラがついているけど、それが決め手だったわけではない。

ところで、これが今まで持った携帯の中で一番気に入った。
気に入ったらカスタマイズしたくなった。

内蔵の壁紙では当然満足できず、ネットで探すことにする。
まずPCのソフトバンクサイトで、この機種のディスプレイ画素数をチェックする。
854×480ドット。
Googleの画像検索にこの数値を打ち込んで検索する。
ヒットした画像の中から気に入ったやつをダウンロードし、携帯宛にメール送信する。

次に、お気に入りのCDジャケ画像で、上記の画素数以上の品質でアップされているものはないか探す。
900×900ドットのやつが見つかった。
ダウンロードし、IrfanView で開き、[編集]―[選択範囲を切り出す]で縦854×横480のサイズに切り抜き、保存してメール送信する。

次は携帯側で、待ち受け画像に設定する。
--ここでつまずいた!
画素数はぴったりなのに、なぜか画像の周囲に余白がある。縮小されているのだ。

納得がいかず、あの手この手で試してみる。
それでわかったのだが、横型の画像(つまり縦480×横854の画像)を携帯に取り込んでから、壁紙仕様にするために携帯上で右回転させて保存し、その上で壁紙設定すると、これがなんと余白なしでピタリとフィットするのだ。

そこで推理してみた。
携帯を縦に置いたとき、ディスプレイの上下それぞれ数十ドットには、アンテナ、バッテリー、マナー、切りかえタブなどのアイコンが常時表示される。それゆえ、それらが画像にかぶって画像の一部が隠れるのを嫌い、画像の方を縮小してしまおうという配慮なのであろう。
ところが、どういうわけか画像が横型のときには同じ原則が適用にならない。縮小されないのだ。いや、不満なわけではない。むしろその事実が「使える」のだ。
というのは、この携帯のOSが画像の縦横を解釈するたよりは、画像自体の向きではなく、「携帯上で右回転された形跡」の有無だからだ。

それだけわかってしまえばあとは簡単である。
PC上で、縦型の画像(縦854×横480)を IrfanView で開き、左回転して保存する。つまり画像は横倒しになる。
これを携帯にメール送信して保存した上で、「右回転」する。これで実際の画像は正しい縦型に戻るのだが、携帯のOSは「右回転」の形跡があるためにこれを横型の画像と解釈している。
この画像を待ち受けに設定する。--これでビンゴだった。
余白がなく、美しい「縦型」壁紙の設定完了だ。
 
テーマ * 待ち受け画像 ジャンル * 携帯電話・PHS

 

 

*Template By-MoMo.ka* Copyright © 2011 まず深呼吸、一歩引いて気楽に行こう, all rights reserved.

Author:盛々夏野菜

男性、既婚、事務系サラリーマン。
現代思想フェチだが、本を読むのが遅いのであまり多くは読めない。地底人生活を経て現在は臨床心理に関心がある。新鮮な胡瓜が好き。
VBA Expert Standard Crown
VBA Expert Standard Crown

未分類 (1)
思想とメンタルヘルス (34)
シアター (8)
シネマ (0)
ミュージック (4)
デジタル (2)
自分を苦しめない暮らしかた (19)
全体は部分に優先する (9)
高橋和巳 (3)
アラン『幸福論』 (2)
自我の二重化という手法 (2)
鄭義信 (8)
浜田麻里 (4)
外国文学 (1)
日本文学 (10)
政治 (9)
マスコミ (3)
疑似科学・擬似医学 (3)
石原加受子 (2)
掌編小説 (7)

 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。