きゅうり

 

盛々夏野菜のハードエッセイ & ショートストーリー 【思想、心理、書評、劇評、感想、あらすじ】
 

 

 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 

 

 

 

 
 線路ぞいに細道があり、そこは鉄道会社の土地であったが、地域住民は抜け道として重宝していた。ところが鉄道会社にはあまり評判のよくない社員がいて、細道の一箇所に自分のランドクルーザーを停めはじめた。もともと細い道であるから、一箇所でも塞がれてしまうと通りぬけはできなくなり、ひとびとは迂回を余儀なくされた。こういうわけで、われら自治会役員五名が鉄道会社の支社へ直談判にいったところ、応対はすこぶる丁寧であったが、会社の対応については明言を避け、言質をとられるような約束めいたことは一言も口にすることなく、お申し越しの件について、回答は後日文書で差し上げるという返答を述べるにとどまった。
 一週間後に回答がきて、われらは呆気にとられた。いわく、件の道路はわが社の私有地であって、その用途について貴殿らから指示をうけるいわれはない。わが社の社員に駐車場として利用させることは、正当な権利の行使である。これで鉄道会社は完全に地域を敵に回してしまったことが明らかになった。われらはこの事実をできるだけ多くの人に知らしめることが必要と考えて、会う人ごとに語って聞かせた。
 すると今度はおまわりが訪ねてきた。どこぞの国ではあるまいし、噂を広めたかどで拘束されることなどないとわかってはいたが、それでも敵の手の内がわからず、どんな隠し球をもっているかわからないので、われらは警戒をおこたらなかった。おまわりの話によれば、鉄道会社の重役で警察に強力なパイプのある人がいる。それで、自分は、気が進まないのだが、偵察に来るはめになった、ということだ。それだけ言うと、他に何かできるわけもなく、おとなしく帰っていった。
 翌日、細道の両端にカラーコーンが出現した。そんなものを置かずとも、通りぬけのできない道に乗り入れるも者はいないのだが、鉄道会社の意思を示すにはじゅうぶんだった。それとも誰か個人の意思なのか?
 われらは署名活動を行なうことに決めた。そして署名用紙の印刷を発注した。しかし納品日になって、印刷屋は、今回の発注はなかったことにしてくれと言って、原稿と、手付金の戻しと、菓子折りを持ってきた。
 われらは熱意がつづかなくなり、五名で集まることも少なくなった。
 ところがある日、カラーコーンが忽然と姿を消した。ランドクルーザーもなかった。翌日も同じだった。様子見をしていた地域住民は、やがて何事もなかったかのように細道を利用しはじめた。その後、例の社員とすれ違ったとき、こやつはわれらを睨みつけた。まるでわれらが直接手を下しでもしたかのように。  
スポンサーサイト
テーマ * 自作小説 ジャンル * 小説・文学

 

 

 

 
 小僧は性質が悪かった。駅のホームですぶりをし、周囲の迷惑などかえりみなかった。コーチに屈辱的なあだ名をつけ、仲間の少年たちにもそのあだ名を使うように強いた。誰が弱者であり、誰が自分の身を守れない木偶の坊であるかを瞬時に見分け、的確に狙いを定めてダメージを与える手腕は、天才的と言ってもよいほどだった。よく通るボーイソプラノの声で、きたない言葉を機関銃のように連射するさまの、うっとうしさといったらなかった。
 コーチがうつ病になってやめたあと、監督の依頼でチームの面倒をみることになった大学生は、誠実な人間であったが、決して小僧に隙を見せるようなことはなかった。小僧に気づかれることなく、小僧の悪辣な行状をつねに監視していた。たいていの人がそうである程度に、すこしサディスティックなところのあるこの青年は、小僧の悪事を見つけるたびに腕をねじり上げた。ということは、小僧の行動を予測し、悪事の瞬間には近くにいるようにしていたのだ。こうでもしなければ、小僧は監視の裏をかいていっそう悪事をエスカレートさせていただろう。
 小僧は四番でエースだったが、その行状があまりにもチームの和を乱すものであったために、リーグ戦のとき、青年からの提案によって、監督からベンチスタートを言いわたされた。代役のピッチャーが好投しはじめると、小僧は市営スタジアムのバックネットに指をかけてヤモリのようにはりつき、のぼり始めた。そうすれば、小僧の意のままになるチームメイトたちは、ピッチャーよりも小僧の方にいっそう大きな声援を送ることがわかっていたからだ。しかも、チームメイトの中でバックネットをのぼる勇気のある者が小僧以外にいないことは事実であった。それはそうだ。小学生といえども、ヒトの体重を支えるような構造にはなっていない。バックネットの高さの半ばまでのぼった小僧は、スタジアム中の注目を集め、勝利の記念に、右手をつきあげておたけびを上げた。そしてバランスを崩し、首から落下した。

 
テーマ * 自作小説 ジャンル * 小説・文学

 

 

 

 
遅ればせながら掌編小説の口上を述べておきたい。

資料を集めてコツコツと肉付けしていくタイプの小説は俺には向かないと考えるにいたり、プロットをそのまま発表してみたのが、最初の「美里ばあさん」である。

俺は複雑な現象を簡潔に述べる抽象度の高い文体を確立しようとして努力してきた。だからどちらかというと具体描写は苦手なのである。それで、ひとつプロットだけの小説をしばらく書きつづけてみようと思った次第だ。

現実のできごとから触発は受けているが、これまで書いた四つの小説には、参考にしたできごとやモデルというものはない。四人の(正確にいえば三人と一匹の)主人公は、俺の純粋な分身なのである。四人のうち三人は韜晦のために性別を変えてあるからわかりにくいかもしれない。しかし美里ばあさんも、沙友里も、雌猫も、偽装した俺なのだ。俺という人物に興味をもってくださった方は、そのことをを頭に入れたうえで再読してみるのも一興かもしれない。もちろん、ディテールまで正確に俺をなぞっているわけではないけれど。 
テーマ * 更新報告・お知らせ ジャンル * 小説・文学

 

 

 

 
 この家にもらわれてきたとき仔猫だったあたしは、まもなく、ママさんへの深い「信頼」を示すまたとない方法を発見しました。なんということはありません。毎日きまった時刻にママさんの前にあらわれて「ニャー」と鳴くことです。しかし、その「ニャー」に心をこめればこめるほど、あたしは一方でジレンマにおちいっていきました。なぜならあたしとて猫族の一員ですから、対猫関係の中でさまざまな小事件がひっきりなしに起こり、対処を迫られるため、必ずしも決まった時刻にあらわれることができなくなったのです。それに、あたしはいつも絶好調というわけではありません。「ニャー」の調子が低いこともあれば、「ニャー」と発声する元気さえ出ないこともあります。そして困ったことに、こういう不手際は、タイムリーで心のこもった「ニャー」とのギャップによって、自動的に「信頼」の反対、つまり「不信」という意味をもってしまうようなのです。ママさんが悪いわけでもあたしが悪いわけでもありません。「差異」とか「記号」というものは、最初からそういうものなのです。もちろん、それはギャップがそう見せているだけのことであって、事実、あたしは不信のかけらももったことはないのです。
 あたしがこのような結論にたっしたのは、ママさんの様子が、ひどく落胆しているように見えたからなのでした。いえ、あたしなんかの観察など気にとめないでほしいのです。そうでないならそれにこしたことはないのです。でも、あたしの観察がもしほんのひとかけらでもあたっているのなら、あたしは、あたしの信頼がすこしも変わっていないことを弁明したいのです。もちろん、猫族のあたしには叶わないことなのですが。そして、できることならママさんにあたしのことを長い目でみてもらえる余裕をもってほしいと思うのです。なぜって、ママさんがあたしの「ニャー」をこころから喜んでくれるという百パーセントの確信をまだもてずにいる今、臆病者のあたしには、ママさんの前に駆けていって高らかに「ニャー」と鳴くことはきっとできないから。あたしにできることは、あたしの愛と信頼は不動であることを、あたしの日々の態度によって、すこしずつ、証明しつづけることなのです。 
テーマ * 自作小説 ジャンル * 小説・文学

 

 

 

 
 神奈川県でいちばん旨いうどんを食べに行こう。誰かがそう言ったので、俺たちの一行は**市のy字路にむかった。y字といっても小文字のyであって、左右対称ではなく、二画目(長いほう)にあたる国道の中ほどの位置が、一画目(短いほう)にあたる県道の終点になっている。
 それで、俺たちはyの字の二画目終端の方向から、字画の方向とは逆向きに(下から上へ)すすんできて、この交差点にさしかかる。
 しかし、こう述べただけではまだ正確でない。そこで、あなたの脳内でyの字を左右反転させてほしい。ここで俺が描写せんとしている実際のy字路はそういう形であった。
 どちらでもかまわないじゃないか、という声が聞こえてきそうだが、俺の記憶と読者の脳内イメージが一致しないのは、書き手としてやはり納得がいかない。わかりにくかったら図を描いてみてはいただけまいか。
 さて、俺たちは国道の左側の歩道を歩いてゆく。くだんのうどん屋は反転したyの字の又の中、つまり国道と県道が交差したすこし先の、国道を跨いで右側にある。だから、うどん屋に行くには国道を横切らなくてはならない。しかしこの国道は交通量が多い。それでちょうど、うどん屋の正面の位置に歩道橋がかかっている。
 俺が先頭に立って歩道橋にとりかかることになった。しかしこいつが問題なのだ。鋼鉄製で、赤い塗料で塗装されたその歩道橋には手すりがない。階段のステップは黒い鋼鉄製で、しかもメッシュになっている。そればかりか、ステップとステップの間隔は上下に一メートルも空いている始末だから、歩行者はひとつ上のステップをつかんではい上がり、ロッククライミングばりに、命がけの登攀をしなくてはならない。メッシュの目に指をかけてぶら下がればすこしは安定感が増すかもしれないと考えたが、メッシュの目が細かすぎて指が入らない。恐怖に足がすくむ。
 そんな危険をおかすべきだろうか。うどんを食べるために。それとも、危険を避けて、うどんを断念し、引きかえすべきだろうか。ところでだいたい、あの店のうどんを食べたことのある人は、皆この歩道橋を使ったのだろうか。
 しかし、と俺は思う。悩む価値もないと。そして車列のあいだをくぐって国道を横切り、さっさとうどん屋に入ってしまう。うしろの連中が、おずおずと俺に追随しはじめる。
 こうして俺は一行よりひと足早く入店したのだが、俺の目に入ってきたのは、うどんが配膳されるのをまっている数人の客だけだった。店主はどこにいるんだろう。しかし俺が彼らに尋ねたのは、店主の所在などではなかった。「皆さん、本当にあの歩道橋を使ったんですか」
 誰もはっきりと返辞をしない。かといって、歩道橋を使わなかったことを恥じて、ばつが悪そうにしているというのでもない。 
テーマ * 自作小説 ジャンル * 小説・文学

 

 

 

 
 それは沙友里が九歳のときだった。小さくて食も細い沙友里は、兄のまねをして、ごはんをおかわりしてみた。たくさん盛ってもらったが、二口食べてすぐに満腹してしまった。しかし母は許さず、最後の一口まで責任をもって始末することを命じた。それで沙友里は咳き込み、嗚咽しながら気丈に完食した。小さな胃がきしみ、死ぬほど苦しかった。その晩、沙友里は具合が悪くなり、翌日の晩まで眠りつづけた。
 この罪深いしつけは、動物的な本能に逆らって食の快楽にふけってもよいということを、沙友里に学習させた。やがて、何か不安をもつたびに、苦しくなるまで食べつづけるようになった。肥満することはなかった。そもそも、大量の食物を全部栄養にしてしまうほどには、内蔵が強くないのかもしれなかった。しかし胃はきりきりと痛んだ。
 いつも、食事を楽しむと言うよりも、一刻も早く平らげてしまいたいと考えている人のように、せかせかして、義務をはたすような食事ぶりだった。出されたものを残すことはまずなかった。かくも胃の使いかたがへたなので、おなかの調子はいつも悪かった。それゆえトイレにいく回数が多かった。小ではなく大のほうだ。もっとも男子とはちがって、言わなければ小か大かはわからないのだが。音姫もあるし。では頻尿と思われていたのだろうか。女子から指摘されたことはなかった。しかし本人はひどく気に病んでいた。
 かわいいので男子からはよく声がかかった。しかし男子と一緒に一日を過ごすと、途中でトイレに行かなければならない。その回数が、連れの男子よりも多くなるのではないかとつねに気にしていた。回数を減らすために、トイレに行かず耐えていたこともあった。
 それで五人目の男子とわかれたあと、内科医の勧めにしたがって心理カウンセラーに会った。不思議な体験だった。というのは、初対面の男の人と話して緊張しないのははじめてだったからだ。カウンセラーは、沙友里がひそかにおそれていたように、心の中に土足で踏みこんできたり、トラウマに直面化させるようなことはしなかった。ただ、ひごろ沙友里を拘束し、身動き取れなくしている、さまざまな義務感、道徳心、そして打算を一瞬手ばなして、子どもらしい素の自分と向きあえるようにみちびいてくれた。こうして沙友里ははじめて「あたしってかわいそうなんだ」と思った。涙が流れた。
 しかし習慣の力は強力だった。沙友里はあいかわらずせかせかと義務を果たすように食べ、そして食べすぎておなかをこわすのだった。もっと根本的な治療が必要だった。沙友里が考えたその治療法は、九歳の自分に会い、手をさしのべ、味方になってあげること。そして当時の母と対決し、誤ったしつけをやめさせることであった。
 次にカウンセラーと会ったとき、催眠療法の先生を紹介してもらった。翌週、その先生に後催眠暗示をかけてもらった。その晩の夢に出てきた九歳の沙友里は、まさに二杯めのごはんの三口めを、むりやり口の中に運ぼうとしているところだった。二十一歳の沙友里は、九歳の沙友里の腕をそっとつかみ、「食べなくていい」という意思を伝えるために首を横に振った。そして小さな沙友里をそっとだきしめて言った。「だいじょうぶよ。あたしがついてるからね。何も心配しなくていいから」
 すると母の顔が鬼のようにゆがみ、膨張して巨大な風船になった。沙友里が大砲をぶっ放すと、風船は粉々になって飛び散り、寝室の中の二つの影があらわれた。それは、九歳の沙友里と、添い寝している母だった。
 夢の中の不思議な能力によって、沙友里には事態が見てとれた。あのとき、沙友里に完食を強要した母は、沙友里がすぐにねを上げて食べるのをやめると思っていたのだ。そして思いもよらない展開にあわてふためいた。目を覚まさない沙友里に寝ないでつきそい、ごめんねといいながら朝まで泣いた。朝がくると、娘の命を救うために、てきぱきと主治医の往診を手配した。
 そういうことを十二年間おくびにも出さず胸にしまっていた母に、沙友里は「意地っぱり」とつぶやいた。そして抱きしめていた大砲に弾をこめずに、やさしく、空砲をお見舞いした。 
テーマ * 自作小説 ジャンル * 小説・文学

 

 

 

 
 優子、麗子、美里の三人のばあさんはいつも行動を共にしている。リーダー格でやり手なのが優子ばあさん、ぐずで足手まといなのが美里ばあさん、可も不可もないのが麗子ばあさんだ。
 美里ばあさんが自転車に引っかけられて足首を捻挫したとき、優子ばあさんは泣いている美里ばあさんを尻目に相手の女子大生との交渉を買ってでて、前払いで治療費をせしめた。領収書の提示を求められることもなかったので、美里ばあさんは健康保険で整形外科を受診し、ロキソニンテープを二週間分もらい、ついでに腰のマッサージもしてもらったが、受けとった額の一割もかからなかった。美里ばあさんはしきりに恐縮して残額を返したいと言いはったが、優子ばあさんはそんなことをしたら足元を見られて報復されるかもしれないと言っていさめた。「それに」と優子ばあさんは言った。「あんたはとても怖い思いをしたんだから、それくらいの迷惑料をもらって当然なのよ」
 ともに伴侶を亡くして独り者の麗子ばあさんと大輔じいさんはたいそう仲がよくて、町で公認のカップルといってもよいほどだった。あるとき、大輔じいさんがどういう経緯でか隣町の紗香ばあさんとお茶を飲んだことが明らかになった。それで優子ばあさんは大輔じいさんの家にのりこみ、裏切り者とののしり、麗子さんは二度とあんたの顔なんか見たくないと言っていると、たんかを切って立ち去った。麗子ばあさんは優子ばあさんに心からの感謝を述べ、その後、大輔じいさんから何度電話がかかってきても、メールがきても応じることはなかった。
 ある日、優子ばあさんのもとを美里ばあさんが訪ねてきた。麗子ばあさんと一緒ではなかった。美里ばあさんは怖い顔をしていた。長いつきあいだが、優子ばあさんはいまだかつて美里ばあさんのそんなに怖い顔を見たことはなかった。そもそも、気弱な美里ばあさんが怖い顔などするはずもなかった。美里ばあさんはその怖い顔で優子ばあさんをにらんで言った。「あなた、麗子さんの気持ちわかってる? 麗子さん、三日三晩泣き暮らしたのよ。大輔さんへの気持ちと申しわけなさとで、食べ物も喉を通らなかったんだから」そして、うろたえる優子ばあさんの目をのぞきこみながら、優子ばあさんのつま先を踏み、体重をかけた。  
テーマ * 自作小説 ジャンル * 小説・文学

 

 

*Template By-MoMo.ka* Copyright © 2017 まず深呼吸、一歩引いて気楽に行こう, all rights reserved.

Author:盛々夏野菜

男性、既婚、事務系サラリーマン。
現代思想フェチだが、本を読むのが遅いのであまり多くは読めない。地底人生活を経て現在は臨床心理に関心がある。新鮮な胡瓜が好き。
VBA Expert Standard Crown
VBA Expert Standard Crown

未分類 (1)
思想とメンタルヘルス (34)
シアター (8)
シネマ (0)
ミュージック (4)
デジタル (2)
自分を苦しめない暮らしかた (19)
全体は部分に優先する (9)
高橋和巳 (3)
アラン『幸福論』 (2)
自我の二重化という手法 (2)
鄭義信 (8)
浜田麻里 (4)
外国文学 (1)
日本文学 (10)
政治 (9)
マスコミ (3)
疑似科学・擬似医学 (3)
石原加受子 (2)
掌編小説 (7)

 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。