きゅうり

 

盛々夏野菜のハードエッセイ & ショートストーリー 【思想、心理、書評、劇評、感想、あらすじ】
 

 

 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 

 

 

 

 
こちらに引っ越しました。














1974年 光風社書店発行の連作短篇集
作者名の読みは あげの ひろし

目次
人生漫画
ゲリラの棲む岸壁
F4ファントムジェット機を降ろせ
プロレタリア競艇哀話
プロレタリア蟻地獄渡世
プロレタリア哀愁劇場

一、ニ、三話の語り手は寺中くん。かれは「けそけそした性格」のために、公務員、不動産屋、選挙カーの運転手、バーテンと次々に職を変えたあげく、今はトレーラーの運転手になっている。同僚の川路くんとコンビを組み、会社からなかば強制された形で最大積載量20トンのトレーラーに45トンの鉄筋を積んで走り、警察の検問をけむにまく。

さんざん搾取されてその日暮らしをしているかれらは、同僚のいやがる難度の高い任務を「カネのため」に次々と引きうける。こうして日本に五台とない巨大なスクレパーや、蒸気機関車や、35トンクレーンの陸送をなしとげる。それでいて、いよいよカネに困れば会社の持ち物である「軽油」や「ブリジストンタイヤ」を売り飛ばして生活費の足しにすることも躊躇しない。

港湾労働の頂点に立つ<博多開運株式会社>の配車係長=石山氏は、カリスマ性があるが一筋縄でいかない山師的人物である。二人に蒸気機関車や35トンクレーンの陸送を斡旋したのはかれであった。

第二話「ゲリラの棲む岸壁」では、青春時代に社会主義思想にかぶれた経歴をもつかれが、若い運転手たちを「日雇いゲリラ」として組織し、原子力潜水艦寄港反対闘争に送り込む。

第三話「F4ファントムジェット機を降ろせ」では、九州大学の建設中の校舎に突っ込んだ米軍機の撤去を請け負う。防衛施設庁、大学当局、文部省、中核派、米軍の思惑が交錯し、誰にも手が出せなくなっていたいわば「火中の栗ひろい」に、寺中くんたちを動員して敢然と挑んだのだ(注1)。

第五話「プロレタリア蟻地獄渡世」では、波止場の荷揚げ人夫上がりで素行の悪い消防士コンビ(一色肇と栗原多情丸)が山火事の出火原因をつきとめる。しかしその出火原因は市役所にとって都合が悪かったので、二人は解雇される。

最終話「プロレタリア哀愁劇場」では、暴力手配師の栗原清右衛門、アメリカ人カークランド、身体障害者の玉島富良吉が登場し、かれらと寺中くんとの心の交流は神話的な次元に達する。

破天荒なエピソードはいうにおよばず、博覧強記の作者が随所で披瀝する薀蓄、リズム感のある洒脱な文体、そしてシニカルな人間観察は、本書がもつ強烈な魅力の源泉であろう。

俺が本書の存在を知ったのは、1987年、68/71黒色テント(現在の黒テント)が「赤いキャバレー」のレパートリーとして最終話『プロレタリア哀愁劇場』を舞台化したときだった。俺が観た黒テント作品の中でベストプレイというべき一本である。玉島富良吉を演じた俳優、内沢雅彦さんとはそのときに知り合った。

当時、本書は手に入れにくい本のひとつだったが、やがてインターネットが普及し、全国の古書がデータベース化されるようになるとわりと簡単に見つかった。しかし手に入れて安心してしまい、そのまま眠らせていた。

今回、『プロレタリア哀愁劇場』から26年ぶりに、同じ黒テントによって第一話「人生漫画」が舞台化されることを知り、あわてて読み始めた次第なのだ。掛け値なしの傑作なのに、このままでは忘れられてしまう。復刊する手だてはないだろうか。

黒テントのウエブサイト
「人生漫画」の公演は9月26日、27日、28日@神楽坂 cafe SKIPA

(注1)第三話の末尾はこうだ。「墜落する途中、ジェット機の右の車輪が吹ッ跳ンで、その車輪だけが今も六階建の建物の三階あたりにひっかかっている」これ、ロートレアモン『マルドロールの歌』第六歌の末尾に似ていないかな? 
スポンサーサイト
テーマ * 書評 ジャンル * 本・雑誌

 

 

 

 
なみはずれた言語感覚と、それを裏打ちする絢爛たる語彙群。文芸誌の編集者が要求するよりもはるかに高いクオリティをみずからに要求しつづけ、逆に、既存の小説の枠にはめようとして編集者の突きつけてくる要求などかえりみない(ように見える。実態はわからない)。

綿矢りさを読むと、純文学の力は健在だということに改めて気づかされる。同時に、その本に何が書かれているかはどうでもよくなる。読者は、小説の内容てなものではなく、綿矢節のもつ鬼気に当てられてうちのめされたいのだ。純文学は表現の前衛だから、物語の提示を最終目標とはしていない。それは作家が世界と対峙するあり方そのものなのだ(かといって、物語の読ませ方も巧みであり、決して筋をおろそかにしてるわけではないけれど)。

こうして、俺にとっての綿矢りさは、日本でゆいいつの前衛作家という不動の王者の位置にあり、カフカ、コンラッド、フォークナーという世界文学史上の大家と比較しても遜色がない。

しかし、こういう賛辞を書きつらねてもいまひとつ迫力がない。それで、彼女にふさわしい評言はないものかと考えていた。そして、『六十年代演劇再考』における佐伯隆幸の講演を読んで思った。綿矢りさは「アングラ」なのだ。実存という身体性のもつ痛み、そしてその痛みから出てくる毒を寸止めにして、ぎりぎりのところでユーモア小説として成立させる。その痛々しいまでの鋭さと手腕には、「アングラ」の称号こそがふさわしい。

勝手にふるえてろ (文春文庫)勝手にふるえてろ (文春文庫)
(2012/08/03)
綿矢 りさ

商品詳細を見る
 
テーマ * 書評 ジャンル * 本・雑誌

 

 

 

 
原作の構造分析、文体模写、時代考証という気の遠くなるような作業を経て書き上げられた労作である。

前回紹介した、熊倉千之『漱石のたくらみ』は、徹底した構造分析が特徴の本であった。本書はこれより前に書かれたにもかかわらず、緻密な構造分析をすませていなければ書けない記述が見られる。構造分析は熊倉先生のオリジナルというわけではないのである。二例を挙げる。

1.温泉旅館でのお延の下足箱の番号は二十八であり、これは熊倉先生の主張する『明暗』の基本数に一致する。気まぐれに選ばれた数字ではない。水村先生が「そのことはわかっていますよ」とさり気なく証言しているのである。

2.温泉旅館で体調を崩した津田が寝るときの枕の向きは、縁側や床の間との位置関係から言って、小林医院の二階で津田が寝ていた時の真逆である。水村先生は、あきらかにこれら二つの場面を対比しようとしている。


何はともあれ、俺たちは『明暗』の続きが読めるようになったのだ。その偉業に感謝したい。
しかし、水村先生、津田をそこまでいじめなくても……。

続 明暗 (ちくま文庫)続 明暗 (ちくま文庫)
(2009/06/10)
水村 美苗

商品詳細を見る
 
テーマ * 書評 ジャンル * 本・雑誌

 

 

 

 
苦労して読んだ名作の印象が薄れてしまわないうちに、すぐれた評論を読んで復習しておきたかった。
読んでみて、プロの読解の手つきとその迫力に震撼させられた。「復習」などという生半可なものではすまなかった。「小説を読む」という行為の深淵を覗きこみ、地下世界を旅してきたような、稀有な体験であった。
読みどころを列挙する。

1.徹底した構造分析により、筆者は『明暗』の書かれなかった最終回は二百二十八回であったと断定する。そしてこの作品における前半と後半の正確な「対応関係」にもとづいて、書かれなかった章の梗概を予測する。というよりも「断言」する。

2.漱石が作品の中に縦横無尽に配置したアレゴリーのネットワークを明らかにし、名作が持つ圧倒的な魅力の秘密へと読者をいざなう。

3.『明暗』は『こころ』の問題系を引き継ぐ姉妹編であり、「K」も「先生」も死ななかった場合にはどうあらねばならなかったかを研究する、壮大な思考実験である、と述べる。

4.筆者は小説一般の基本原理として、「作品の統一性はすぐれた芸術作品に必須の条件である」「小説の主人公は一人でなければならない」と断言する。その論法は力強くかつ新鮮であり、今後、俺が物を読んだり書いたりしていくための指標となろう。

5.さらに筆者は、西欧文学風の客観描写なるものは日本語の特性からして不可能であり、日本語のディスクールは常に作者の存在を濃厚に表現してしまうと述べる。

6.もちろん、津田の抱える「心の病」がいかなるものであり、そして彼がどのようにして癒されることになるかという問いへの、『明暗』の本文からは見えにくい答えの探求が、本書の中心テーマである。

唯一の欠点はときおり難解になることで、それは文中の主張が、(1)その箇所で初めて主張されたものか、(2)すでに主張されたことの繰り返しや展開か、(3)先行する章句や、原著や、他の研究書の中にすでに示唆されていると言いたいのか、がわからなくなるためであろう。そういうときは、深く考えずに結論だけありがたく頂戴するのがお作法である。

漱石のたくらみ―秘められた『明暗』の謎をとく漱石のたくらみ―秘められた『明暗』の謎をとく
(2006/10)
熊倉 千之

商品詳細を見る
 
テーマ * 書評 ジャンル * 本・雑誌

 

 

 

 
こちらに引っ越しました。











【ネタバレ情報含む。未読の人は注意。】

1.難解さ

国民的作家の代表作にして超ロングセラー……。
その程度の認識で手を出すと手痛いしっぺ返しを食らう難解本である。
累計でおそらく数十万冊、ことによると百万冊を超える部数が出ているかもしれない。しかし、そのうちの何割が読了されたであろうか。そして何パーセントの読者が、この本に何が書いてあるかを理解しえたであろうか。
俺自身、大学生時代に2度読んでいるのだが、印象が残っていない。つまり、まったく読めていなかったのである。

本書の漱石は、読者サービスというか、読みやすくするための工夫を一切手放してしまい、「ついて来れる奴だけついて来い」と言っているように見える。

一例を挙げれば、人物の呼称である。津田が視点人物になっている回では、叔父と言えば藤井のことであるが、お延が視点人物になっている回では、叔父と言えば岡本のことだ。登場人物たちの関係が頭に入っていなければ、誰のことを言っているかもわからないのだ。やむなく系図を書きながら読むことにした。
明暗系図

同様に、第五十二回の席順
食堂の席順

も、第百三回の部屋の配置
2階の配置

も、図を書いてみなければ理解できない。

また、本書のクライマックスである津田とお秀の兄妹喧嘩が、いかなる論理的必然性によって津田の清子訪問という展開を呼びよせるかは、同じ所を何度も読み返し、さらには書かれていないことを推測で補って読まなければ理解できない。

こういうわけで、相当な難物なのである。

2.お延の世界観

しかし、苦労して読めば得るものは大きい。なぜって、本書は日本ばかりか、世界に冠たる一級の心理小説なのだから。

ヒロインのお延は、身内を含めて他者という他者を信用しない。他者は必ず彼女を出し抜こうとしていて、世間は戦場である。そういう世界観を持つがゆえに、彼女は常に知恵と勇気によって他者に競り勝ち、世間を渡りつづけるという苦しい生きかたを強いられる(注1)。
夫の津田も、義妹のお秀も同じ病気にかかっている。
まさしく、現代人の心の闇がテーマなのだ。
本書の末尾に登場する、唯一の脱力系人物である清子は、そんな彼らの対極に位置すると同時に、彼らに救済の途を指し示すはずだった。それは作者の死によって永遠の謎となってしまったけれど。

3.ジェイムズの影響

ところで、本書については、ヘンリー・ジェイムズの影響がかねてから指摘されている。今回読んでみて、影響の強さを実感した(俺が読んだジェイムズ作品は長編4本と短編数本。この程度の読書歴でジェイムズについて語ることが許されればの話であるが)。

まず、吉川夫人というジェイムズ的人物の存在である。若い男を庇護し、交際する女性の斡旋も買って出るヤリ手のオバサンであるが、既婚者同士の密会を手引きしたり、彼女の気に染まないヒロインの性格を矯正しようとして陰謀をめぐらすことも辞さない、悪魔的側面を持っている。

もう一つは、会話や思考を描写するのに具体的な内容には触れず、延々と隠喩を書きつらねてゆく独特の文体である。たとえば、

感情と理窟の縺れ合った所を解ごしながら前へ進む事の出来なかった彼等は、何処までもうねうね歩いた(第九十七回)。

ここでは、彼らは実際に歩いているのではない。なかなか核心に到達しない会話を、歩行の隠喩で描写しているのである。他にも、

最初夫人の名前がお延の唇から洩れた時、彼女は二人の間に一滴の霊薬が天から落されたような気がした。彼女はすぐその効果を眼の前に眺めた(第百二十五回)。

ここでは、いわゆる効果は目に見える実体ではなくて観念にすぎないのだが、視覚的な隠喩を使って描写しているのでこういう表現になるのである。こういうところがジェイムズ節なのだ。ジェイムズを読んだことのある人ならすぐ思い当たるだろう。

4.雑感

読んでいる最中に気がついたのだが、俺は今、漱石が本書の執筆半ばで死去したのと同じ年齢である。時代が異なるとはいえ、とても同年齢とは思えない深い思想性と、円熟した筆さばきに、文豪の偉大さを思わずにいられない。


(注1)一方で、そんなお延の生きざまは健気で美しい。本書の功績の一つは、お延という人物像を造形した点にある。本書を最後まで読み通させる力の源泉は彼女の魅力であろう(注2)。しかし、彼女自身のために言うならば、そんな苦しい生き方は絶対にやめた方がいい。

(注2)俺がヒロイン目当てで読み返す可能性のある小説を挙げてみる(括弧の中はヒロインの名前)。
・本書
・ジェイムズ『使者たち』(ヴィオネ夫人)
・ウルフ『灯台へ』(ラムジー夫人)
・島尾敏雄『死の棘』(ミホさん)
今のところ他に思いつかない。
何が言いたいかというと、お延はそれくらい傑出したヒロインだということなのだ。

明暗 (新潮文庫)明暗 (新潮文庫)
(2010/01)
夏目 漱石

商品詳細を見る
 
テーマ * 書評 ジャンル * 本・雑誌

 

 

 

 
前回までの長大なあらすじは、既読の人や読みかけの人が、忘れてしまった細部を思い出したり、読み飛ばしていた部分を補ったり、複雑な伏線を整理し理解するために書いた。だから未読の人が読むと消化不良に陥るだろう。

さて、あらすじを綴るために読み返してみて、とてつもない傑作という感慨を新たにした。1回目で述べた「設定の見事さ、心理学の知識を活かした重厚な世界観、政治への目配り、終幕のカタルシス」ばかりではない。主人公・揚羽の造形の確かさ、群衆の描き方、トビグモの恐ろしさ……すべて、作者が一級の書き手であることを証明している。萌えキャラの表紙カバーに騙されてはならない。
そして特筆すべきは用語の正確さだ。中でも「乱数」という語は、揚羽の生、人類の閉塞、生命体の自由というテーマを凝縮した秀逸なキーワードである。
フロイトの「イド」、つまり心的装置の中の、自由を希求し、拘束を逃れ、予測のつかない動きをする部分の別名といえる。
浜田麻里の「異端児」、大河ドラマ『平清盛』の「遊びをせんとや生まれけむ」とともに、近年の日本の芸術作品に通底する、優れた思想性と言語感覚の証しであろう。

揚羽の半生はアダルト・チャイルドのそれに重なる。自分は悪い子だから、つねに自分が犠牲になり、家族関係の調整弁を務めることによって、家庭を崩壊の危機から守らねばならないという悲壮な決意。終幕で、彼女は悪い子どころか、世界中から望まれ愛された、人類の希望の光であったことを知らされ、救済される。「苦しい生き方からの回復」という、現代の普遍的テーマだ。心理学科出身の作者の面目躍如といえる。

心理学への言及は他にも随所で見られる(その代表はラカンの「鏡像段階論」への言及であろう)。
現代人の心の闇を描ききるために考えぬかれた、キャラクターや設定の巧みな配置。重いテーマに挑む作者の野心が、SFという柔軟な形式をおのずから選択させたのであろう。もちろん、柔軟な分だけ扱いは難しいのだが。

類書数冊分のアイデアを盛り込んだ困難な実験は成功を収め、稀有な文学的成果となった。妥協なき表現者。信頼すべき、新しい才能の登場を喜びたい。

スワロウテイル人工少女販売処 (ハヤカワ文庫JA)スワロウテイル人工少女販売処 (ハヤカワ文庫JA)
(2010/06/30)
籘真 千歳

商品詳細を見る

 
テーマ * 書評 ジャンル * 本・雑誌

 

 

 

 
【ネタバレ情報満載につき未読の方はご注意】

・あらすじ(つづき)

第三部 水飲み蝶と白蓮(ビャクレン)と女王の岩戸(つづき)



揚羽と全能抗体(マクロファージ=エウロパ)の対話
<種のアポトーシス>の最終段階は胎児への回帰だ。胎児まで退行してしまった患者は、本人の肉体を模した人工身体の中に設けられた仮の子宮に収められ、生命維持をはかられる。それが「傘持ち連続殺人事件」被害者の体内にあった子宮の正体であった。彼らのの肉体部分は限りなくゼロに近く、ほとんど人工妖精と言ってもいいほどであった。
「傘持ち」たちは、人間とも人工妖精とも見分けがたい彼らを異常な個体と認識し、切除したのだった。
「傘持ち」たちに狙われたのが赤色機関の元隊員ばかりであったこともここから説明がつく。性交渉によって感染拡大と症状の進行を起こす<種のアポトーシス>を抑えこむため、自治区では徹底した男女隔離政策が採られている。その自治区にあって、唯一、人間の男女交友が可能な場所が、赤色機関の基地だった。
なお、胎児化治療を受けた人間は、脳に至るまで人工化されて実存の危機を内包し、極端な快楽中毒者となる。
去り際、揚羽は、エンケラドゥスとエウロパの二機のコンピュータが取った進路の違いについて尋ねる。
エンケラドゥスのコンピュータが太陽系の外に飛び立ったのは、人類存続の手がかりをそこから持ち帰るためだった。
それならあなたは? という揚羽の問いに、エウロパは答える。私はある人間の女性に恋をしました。そして、人類の存続よりも彼女の存続の方を優先しました。その人の名は、あなたと同じアゲハ。その人は、今、通常の意味では生きてはいませんが、自治区のすべての人々の間に偏在しています。

揚羽は区営工房の入院棟に妹・真白を訪ねる。揚羽は真白と寄り添ってひとときを過ごす。
思えば、自分はいつも無理して気丈に振る舞い、抹消抗体の汚れた任務を進んで引き受けてきた。自分は真白と違って何もしなければ存在価値ゼロだから、自分にしかできない仕事は、貴重な存在証明であった。
しかし、今回は人形ならぬ人間の暗殺という任務の重さに、思わず涙する。すると真白がささやく。「揚羽ちゃんは頑張り屋さんだね」その言葉が揚羽の心の頑なな部分まで溶かして、涙にしてしまう。

工房の外に出ると、黄色い公用車が横付けされ、曽田陽平が待っていた。仕事場まで送ろうというのだ。
道中、陽平は揚羽に問いかける。俺たち人間の男は、人工妖精と暮らしていてよいのだろうか? おまえたちは自分が壊れそうになればなるほど、苦しくなればなるほど、なおさら人間に尽くす。俺たち人間と一緒にいることで、おまえたち人工妖精が痛み苦しむのなら、俺たちは別々に暮らすべきではないのか?
答えのかわりに、揚羽は陽平に抱きつき、深く口づける。
そして言う。私たちは、人間を愛し、人間から愛されるために生まれてくる。人間がいない世界なんて考えられない。だから、人間のためなら何でもできるし、それが幸せなのだと。

仕事場が近づいてくる。詰襟・軍服の男性型人工妖精が、揚羽の到着を待ち受けている。
車を停めた陽平は、自分から助手席に回りこみ、花嫁をエスコートするように揚羽の手を取った。
揚羽は進もうとする陽平を制し、詰襟に従って進む。その揚羽が開いた日傘は、「傘持ち」のリナリア。

耳のイヤホンから、全能抗体が二名の標的の存在を告げる。
二人の元赤色機関隊員は、リナリアの傘に気づいて武器を身構える。
「まずは二人--」揚羽は二本のメスを振りかぶる。



深山が死んだあとの赤色機関の基地内。
三人の隊員が、鏡子を解放するため基地から連れ出す。自分たちの基地内にもかかわらずひどく警戒している彼らに、鏡子が「内輪揉めか?」とカマをかけると、若い隊員が答える。我々は自分の考えで行動している。日本政府も、局上層部も我々の行動を把握していない。ただ無用な争いを避け、騒動を沈静化することを使命と考えていると。
そして鏡子は、解放のついでに、総督のいる「水の外つ宮」まで私を連れて行けと迫る。

「水の外つ宮」に踏み入ると、峨東の男たちがガヤガヤと非難するので、鏡子は「外戚風情は黙っておれ」と一喝し、総督・椛子の前に進み出る。新旧の「峨東当主(あかのじょおう)」の対決だ。
鏡子は椛子の胸ぐらをつかみ、「揚羽に何をさせている」と詰問する。さらに言う。「この島(自治区)は峨東がお前にくれてやったものだから好きにしていい。しかし揚羽に手を出すのは許さん」
椛子は言う。「あなたたちが放り出した自治区を私は命がけで守っている。どんなに辱められようと、どんな手を使っても、必ず守ってみせる」
人間に反抗するように造った火気質(ヘリオドール)。その彼女が、母親である自分に反抗し、母親が投げ出した自治区を命がけで守っている。
「お前を造ったのは、そんな重い物をお前に背負わせるためじゃなかった」
「あなたがわたくしを造った理由などわたくしの知ったことではない。わたくしはわたくしの自我で、自分で決めて生きる」

そこへ悲報が入る。赤色機関を分裂させる工作は間に合わず、総督府はついに包囲された。
椛子は、今から赤色機関の幹部たちと交渉するために総督府に向かう。そして、日本政府の治安出動だけはなんとか阻止すると決意を述べる。そして鏡子に言う。揚羽のところへ行ってあげてくれ、あの子は今、とても苦しんでいると。

揚羽は泣いていた。そこはかつて揚羽と真白が生まれ覚醒した工房跡だ。四年前、鏡子はそこで瓜二つで羽の色だけが違う人工妖精の姉妹を見つけ、すこしだけ早く片方(黒い方=揚羽)の手を握った。その瞬間、二人で一人だった双子の人工妖精は二人で二つの心に分かれ、黒い方が目覚めた。
その場所で、揚羽は泣きながら言う。私、殺せなくなっちゃいました。私は殺すことしか能がないのに、それもできなくなってしまいました。私はやっぱり故障品です。
それはお前が正常になったということなのに。そう思って鏡子は揚羽を抱きしめる。
お前たち二人、揚羽と真白は深山の造った最高傑作だ。深山はおまえたちを互いの鏡像として造り、人間と同じく鏡像から自我を得る発達過程を再現してみせた。出来合いの倫理観や価値観を植えつけて人間らしく見せかけるのではなく、自分たちでひとつひとつ学び取らせた。深山にとって、どちらが目覚めようとその価値は同じだった。
だから、おまえは一等級の真白と全く同じ人工妖精だ。
そして、「自ら学び、自分で生きかたと価値観を見つけるお前こそ、深山や私がずっと希求してきた理想だ」
揚羽は言う。でも私はたくさんの人工妖精を殺してきました。私は罪深い。

すると、鏡子は自分の過去を語りだす。シングル・マザーであった鏡子は、峨東の家と半ば絶縁状態となり、実家に預けるわけにもいかない幼い娘・アゲハを連れて、微細機械および視肉の研究のため、地下の施設に籠っていた。どんなものでも貪欲に分解し学び取る彼らに学習させるため、稲、麦、鶏、豚、牛、羊を新鮮なまま増殖炉に放り込んだ。彼らが学習していないのは人間の肉体だけだった。つねに「他人の痛みがわかる人間になれ」と言い聞かされていた鏡子の娘が、増殖炉に身を投げた。そして臓器の複製や人工妖精の製造が可能となった。私は自分の娘を微細機械の生贄にしたも同然だ。私も罪深い。私たちはよく似ているな。

その時、全能抗体(マクロファージ=エウロパ)から揚羽に通信が入る。
総督府と対峙している赤色機関は、ある妥協案を提示した。それは騒動の発端となった「傘持ち」を赤色機関に引渡し、それをもって日本政府に対する人身御供にするということだ。もちろん、「傘持ち」は特定の個体ではないし、仮に存在したとしても、総督府がこの提案に応じることはない。しかし、赤色機関は自力で「傘持ち」の探索を開始した。彼らは、揚羽、あなたを「傘持ち」と認識し、トビグモを差し向けた。もうそこまで来ている。

トビグモとの死闘が始まる。無差別殺戮マシンを前にして、揚羽と鏡子の二人に勝ち目はない。揚羽は片腕を失い、片足を折りながら、すんでのところでトビグモの動きを止め、トビグモの足に吊るされた、蝶除け電子線香の糸を引きちぎる。蝶の群れがトビグモを包み、みるみる虫食いにして跡形もなく分解してしまう。

危機が去り、鏡子は揚羽に人類の希望を語る。希望、それは人間が新しい感覚に出会ったときに感じる新鮮な驚きであり、見知らぬ感覚への期待だ。人間は死ぬまでそれを追い求めるし、次の世代に分け与えるために子供をつくる。私たち技師も、お前たち人工妖精を同じ思いで造る。
深山は、エウロパとエンケラドゥスで文明を築いた高等生命が、自分たちのつくった人形に依存して滅びたと言った。だが鏡子はそうは思わない。彼らは希望に、つまり自分たちより幸せになれる人工の生命を生み出すことに、命を賭けたのではないだろうか。

揚羽は、鏡子の娘・アゲハの口寄せを行なう。アゲハに恋をした全能抗体(エウロパ)もそれに力を貸す。鏡子の心に深い救済がおとずれたことがわかる。

終章

総督府は日本政府の軍事介入を阻止したが、その代償として、自治区の三分割を強要された。総督府は三つ、総督も三人。求心力の低下と政治的弱体化は避けられない。
「傘持ち」の容疑が掛けられた揚羽は、椛子の奔走の甲斐あって廃棄を免れ、女性側自治区への追放処分となった。
揚羽と陽平は(身を隠すための)一週間の同棲生活を終え、別離の場所へ向かう。揚羽を「傘持ち」と信じて疑わない狂信的な市民たちは帰れ、死ねと罵声を浴びせ、生卵を投げつける。

総督府内に、男性側と女性側を隔てる扉がある。その扉を見下ろす吹き抜けには、数百人の職員が鈴なりになっている。その観衆の中で、陽平ひとりが揚羽に拍手する。
するとどうだ。すべての観衆に拍手の輪が広がる。彼らは熱心に拍手する。扉の向こうで揚羽を迎え入れた椛子がその種明かしをする。「あなたのしてきたことは、何事も法に照らして裁くという近代以降の法治国家、地域においては認められることではなかった。でも、急激な人工妖精の普及拡大で法学も政治学も追い付かない時代の過渡期で、かつ男女非共棲の自治区の特殊な環境では、あなたのような役割がどこがで必要だったのは事実。誰かがやらなくてはいけないのに統治者が何もせず、挙げ句に率先してそれを成したものを法の下に裁くようなことはとても不条理なことだと、総督府の職員ほぼ全員が思っていた。そんな彼らの鬱屈した思いを、あなたのボーイフレンドが掘り返してみせた。そういうことよ」

そして、未だに自分を五等級と卑下する揚羽に、椛子は「あなたの等級認定を遅らせたのはわたくしだ」と告白する。峨東の当主は、等級審査委員会の委員長を務めるがゆえに「赤の女王」と呼ばれる。その委員会で、あなたたち姉妹は一等級の認定を受けるはずだった。しかしわたくしがひっくり返した。わたくしに匹敵する新たな一等級を担ぎだして、自治区を分裂させようする思惑が、あちこちから芽生えていたからだ。
そうなのだ。揚羽(スワロウテイル)、あなたは誰の意図にも染まらず生まれてきた、無色透明の「無地の人魚姫(アクアノート)」、第五の精神原型「光気質(アイテール)」、人類の希望の「光(らんすう)」なのだ。

(あらすじ おわり)

スワロウテイル人工少女販売処 (ハヤカワ文庫JA)スワロウテイル人工少女販売処 (ハヤカワ文庫JA)
(2010/06/30)
籘真 千歳

商品詳細を見る
 
テーマ * 書評 ジャンル * 本・雑誌

 

 

 

 
【ネタバレ情報満載につき未読の方はご注意】

・あらすじ(つづき)

第三部 水飲み蝶と白蓮(ビャクレン)と女王の岩戸(つづき)



揚羽が詰襟・軍服の男たちに連れ去られた先は、自治区総督・公邸の一つ、水の外(と)つ宮だった。
揚羽は総督閣下の御前に平伏し、床を浸す水に鼻先まで浸かり(標題の「水飲み蝶」はここに由来する)全身ずぶ濡れになる。その姿を見て、取り巻きの男たち(峨東一族、ただち外戚)があざ笑う。

一等級人工妖精にして自治区総督の椛子(もみじこ)は、揚羽と将棋を指しながら自分の身の上について語る。
私が自治区民の尊敬を集めていられるのは、物言わぬ人形を演じている間だけだ。私が自分の意見を口に出せば、自治区の政治的均衡が崩れて混乱が起きる。私が議会の上申した条例案にサインすることを拒めば、日本政府によってただちに罷免される。私が浮島(自治区)の法令上の所有者である峨東一族(鏡子もその一人)の機嫌を損ねれば、彼らの許諾によって成り立っている自治は終わる。
しかし、私が条例へのサインを拒否して罷免されたとしても、新しい総督が派遣されてくるまで空白の時間ができる。私はその一瞬のためにだけ存在している。「彼ら(自治区民)の代表や彼らに奉仕すべき官僚が、もし彼らを裏切るようなことをしたら、わたくしはその瞬間だけ、ありもしない権能を振るう。サインを求められたらわたくしは両腕を切り落とし、唇紋でもいいと言われたらこの顔を迷わず焼く。血でもいいと言われたら、わたくしはこの身を鉄をも溶かす関東湾に投げる。それで、次の総督が来るまでほんの少し時間を稼ぎ、区民や彼らの代表たちが頭を冷やすことを祈って死ぬのよ」

しかし、今はまだ切り札を使うべき時ではない、と椛子は言う。
そして椛子は、目下、自治区を存亡の危機に陥れている恐るべき陰謀について語る。

来月、自治憲章が更新され、現在の赤色機関の基地が全面返還されることになっている。そして、新しい自治憲章の最終確認が行われる明日、おそらく総督府は赤色機関に乗っ取られる。それはなぜか。
自治区に蔓延する奇病<種のアポトーシス>。本土から自治区に派遣された赤色機関の隊員たちも、(「三ツ目芋虫」と呼ばれる分厚い防護服にもかかわらず)感染を逃れることはできなかった。そして陽性と診断された隊員は、任期を終えても本土への帰還が許されなかった。自治区は彼らを新たな区民として受け入れた。
しかし、そんな彼らが「傘持ち」によって次々と殺されてしまった。そんな折に基地返還計画が浮上した。しかも返還だけが先に決定し、移転先は当分決まりそうもない(普天間を連想させる)。そこで彼らは日本政府と総督府が結託し、自分たちをまとめて見捨てたのではないかと考えた。その考えを裏打ちするように、日本政府は彼らとの連絡を断った。こうして彼らは軍事クーデタを企て、自治区最大の人的資産である一級およびそれに匹敵する精神原型師たちを拉致・軟禁し人質とした。そして明日の朝には総督府を占拠し、総督府に代わって日本政府と直接交渉し、自分たちの本土帰還と生命および権利の保護を要求するつもりだ。

ところが、ここへきて、総督府と協力してクーデタの対処に乗りだすはずの日本政府の動きが止まった。不審に思い、調査してみて明らかになったのは、クーデタ制圧を口実とする軍事介入と、それを契機とする自治区再占拠計画という陰謀だった。三浦半島沖にはすでに日本本国の艦隊が展開している。
一方「傘持ち」連続殺人事件の真相も明らかになった。赤色機関を退役し、区民として受けいれられた「元同胞」たちは、日本政府と個別に取引きして指示を受け、水先案内人たちの創作に介入する実験を行なっていた。しかし実験は失敗して恐るべき副産物「傘持ち」を誕生させ、元同胞たちは次々と殺された。こうして赤色機関は日本政府に不信を抱いて反抗的になり、それゆえに、自治区奪還のための捨て石に選ばれた。

陰謀を止める唯一の策は、クーデタを未然に防ぐことだ。赤色機関の内部には、まだ機関上層の暴走に賛同していない良識派がいて、一枚岩になっていない。そこで、彼らを精神的に動揺させ、内紛を起こさせればクーデタは止まる。その方法とは、一連の騒動の発火点となって赤色機関を窮地に陥らせた、「傘持ち」の生みの親たちのすみやかな暗殺だ。彼らの数は「傘持ち」に殺された者を除いて十六人。その仕事をお願いできる相手は、あなたしかいない。猶予は十二時間。
そう述べて、総督・椛子は水面に鼻まで浸し、頭を下げる。
揚羽は引き受けるのと引きかえに、赤色機関に拉致された詩藤鏡子の身の安全と、妹・真白の庇護を、椛子に確約させる。
その後、椛子は彼女の「大切な友人」を揚羽に対面させる。それは「人工知能の反乱」の際に廃棄を免れた唯一の人工知能であった。彼女はエウロパ探査行からの帰還中に撃墜されたが、不屈の信念と知性で地球にたどり着き、自治区によってひそかに回収と修復を受けた。彼女の通称は星の名をとって「エウロパ」。
エウロパが揚羽に話しかける。『全能抗体(マクロファージ)より海底の魔女(アクアノート)へ』
そうとも。エウロパは全能抗体(マクロファージ)だった。



再び深山と鏡子の対話
二十四時間ごとに記憶をリセットされる公共仕様の人工妖精は、常に自己同一性の危機に瀕し、脳を酷使して短命に終わる。その難題を見事に解決したのが、水淵亮太郎の手になる「創作型」(ストーリー・テラー)であった。彼女たちは積極的に創作し、それを無記名の紫外線文字によって共有し、おのれの過去の代わりとして人生の重みに耐えることができた。
深山たちは水淵の発明につけいり、彼女たちの創作に介入して海底の魔女=抹消抗体(アクアノート)への同一化という幻想を植え付け、青色機関の代替として効率よく使おうとした。
しかし身内の中に日本国政府と密通した造反者があらわれて深山たちの計画をさらに掠め取り、彼女たち創作型=水先案内人を日本政府の工作員として使おうとした。が、創作への介入に失敗し、彼女たちをただの殺人鬼にしてしまった(ここで話は前章の「元同胞」たち=「傘持ち」の生みの親たちに重なる)。
壊れた彼女たちが積極的に襲撃したのは<種のアポトーシス>病の末期患者だった。

ところで<種のアポトーシス>はただ単に背が縮む病気なのではない。それは発病者の若返りを促し、ついには胎児化させ、死に至らしめる。
おそらく、この病気の病原体は古細菌類=微細機械だ。彼らは人体に潜み、それを理解し、模倣し、再構築する。性行動によって病症が進行するのは、彼らの間で情報交換が起きて、理解を早めるからだ。しかし人間はすでに微細機械で造った人工妖精に依存せずにいは生きられなくなってしまった。
こうして、「終末の予言(エンケラドゥス・レポート)」は人類にとっていっそう逃れられない運命となった。

われわれ峨東一族は、この運命に抗うため、運命を逃れる「乱数」の探求を続けている。
鏡子の発見した火気質(ヘリオドール その筆頭が総督・椛子)はその大きな一歩だった。
そして深山は「性格、個性の設定のみならず、五原則や精神原型すらない、あらゆる人間の恣意を含まない、完全に人間の意図を逸脱した、自由で無垢な人工妖精」を求め続けた。
たとえそんな都合のいいものを造ることに成功しても、 正常な自我境界の構築がなされないから目覚めはしない。しかし、彼はその目覚めないはずの人工妖精を二人組で造り、全く同じ肉体と脳で互いを認識させ、自分の身体を覚え込ませて自我境界を安定させることによって、ついに目覚めさせることに成功した。ただ、二つの肉体であっても目を覚まして自律するのは片方だけである。
深山はこの二人組(真白と揚羽)が担う「乱数」すなわち人類の希望を語り、歓喜のうちに、みずから生命維持装置を外して息絶える。

(つづく)

スワロウテイル人工少女販売処 (ハヤカワ文庫JA)スワロウテイル人工少女販売処 (ハヤカワ文庫JA)
(2010/06/30)
籘真 千歳

商品詳細を見る
 
テーマ * 書評 ジャンル * 本・雑誌

 

 

 

 
【ネタバレ情報満載につき未読の方はご注意】

・あらすじ(つづき)

第二部 蝶と一日草(デイリー)とカメリア(つづき)



鏡子との通信によって、揚羽は、水先案内人(ガイド)の網膜には紫外線の受容体があることを知らされる。町中の壁という壁には、水先案内人たちの秘密の通信手段である「落書き」が、紫外線だけに反応する特殊なインクで書きつけられていた。それは、長期記憶をもたない彼女たちが、水先案内人の務めを全うするため、記憶の代用として、移り変わる街並みの変遷を書き留める情報共有装置であった。そこには地理的な情報だけでなく、日々の雑感やたあいのない夢物語も書きこまれ、彼女たちの集団的幻想をはぐぐむ装置としても機能していた。そして、彼女たちが持ち歩く日傘の内側にもまた、びっしりと紫外線文字が書きつけられていた。日傘は傘立てに「置き傘」するという方法で交換され続ける。今、揚羽と洋一の手元にある、置名草が置いていったリナリアの傘こそは、その持ち主を「傘持ち」の殺人に至らしめる元凶であった。その傘は回収できた。これで「傘持ち連続殺人事件」は止まる。

しかし最後の「傘持ち」である置名草は、今、狂った殺人鬼と化して地下街をさまよっている。深手を負いながらもその置名草を回収するために出発する揚羽に、洋一が同情する。そのとき、揚羽が洋一に返す言葉が深い感動をいざなう。「私たちが不幸だなんて決めつけることだけは、絶対にして欲しくありません。不幸かどうかは、私たちが決めるんです。私たちはあなたがた人間と同じ、心がある生き物なのだから」

揚羽は視肉(自治区の食糧源)を培養するプールの中にひそむ置名草を見いだす。感覚をやられた置名草には、揚羽と洋一の区別がつかない。そんな置名草に、揚羽は現実を突きつける。今の海底の魔女(アクアノート)は、あなた方の幻想の中の悲劇のヒロインではなく、ここにいる、ちっぽけな、罪深い私であると。

置名草(と、それに先立つ「傘持ち」たち)は、愛する人が背負う過去の重さにくらべて、自分の存在がたった二十四時間の軽さしかないことに耐えきれず、その軽さを「不貞」と表現し、存在の厚みを補償する虚構の物語を必要とした。それが、自治区設立の伝説的英雄・曽田陽蔵(陽平、洋一の父)への悲恋という幻想と、自分を「海底の魔女(アクアノート)」と同一視する誤った自覚であった。そして、人間と人工妖精との共存を守るために、病んだ個体を切除しなければならないと思い込み、それを実行に移した。
しかし、現実の「抹消抗体(アクアノート)」はこの揚羽だ。傘の内側に、内気な女の子たちが書き込んだ空想とは何の関わりもない。

火柱の攻撃を仕掛けてくる置名草に、揚羽は「切除」を宣言し、二十四本のメスを突き立てて動きを封じる。
そして思う。一等級の真白の代わりに欠陥品の自分が目覚めてしまったことへの償いとして、この世の穢れを引き受ける「抹消抗体(アクアノート)」に志願したとき、自分が自治区のすべての苦しみを荷いさえすれば、世界には幸福だけが残ると信じていた。しかし自分が摘み取った苦しみは、また誰か別の人の中で蘇る。永遠の鼬ごっこだ。自分はどこで間違えてしまったのだろう。



置名草の眠る無菌室。ベッドのかたわらに見習いの若い介護士がひかえている。彼は言う。「あなたは今、以前とは別の名前で入院している。あなたを救うために婚姻を申し出ている人がいる。愛さなくても、触れなくても、たとえ他の人を愛しても、書類上だけでも伴侶になりさえすれば、あなたは廃棄されることなく、治療を続けられる」
置名草は答える。「そんな奇特な人がいたら、姿を見せてくれるように伝えてください、私はきっとその人に恋をするから」と。


第三部 水飲み蝶と白蓮(ビャクレン)と女王の岩戸



揚羽は、鏡子の工房に向かう道すがら、全能抗体(マクロファージ)と無線で会話し、青色機関からの離脱を告げる。工房に到着すると、鏡子は連れ去られて消えている。揚羽も時代錯誤的な刀剣と槍で武装した三人組に襲撃され、抵抗むなしく連行される。



鏡子が連れ去られた先は、赤色機関の駐屯地にある、ホテルの宴会場風の一室であった。三十名弱の名だたる精神原型師たちが幽閉されている。

まもなく鏡子は精神原型学の師匠・深山大樹(みやまたいき)博士の個室に通される。彼は土気質、水気質の精神原型を発見した先駆者であるが、その後も新しい気質を探求し続け、ついに倫理三原則、情緒二原則のどれにも縛られない第五の精神原型を生み出した。それが揚羽・真白の姉妹機であった。しかし今の彼は全身をチューブと電極で車椅子に繋がれたあわれな老人である。

深山は人工声帯を使って「終末の予言(エンケラドゥス・レポート)」について語る。
二十一世紀末、人工知能の技術は頂点をきわめ、人間の人生をほぼ完全に理解し予測できるまでになった。この恐るべき事実は、人間をして別の探求に向かわせることとなった。我々を物ならぬ人たらしめるところの「魂」、いいかえれば人工知能の予測をはばむ「乱数」が失われた経緯と、それを再び手にする方法の探求である。こうして、地球外生命がまだ保有しているかもしれない「乱数」を求め、太陽系内の二つの「水の衛星」・エンケラドゥスとエウロパに向けて人工知能が飛び立った。二機の人工知能は、両衛星にはかつて高度な文明が存在したが、すでに衰退して原始生命体に退行していたという事実とともに、それは人類の未来図でもあるという、同じ分析結果を送信してよこした。そして二機のうちの一機(エンケラドゥスに行った方)はその結論に絶望して太陽系の外に飛び立ち、もう一機(エウロパに行った方)はこの結論を知らしめようと地球に向かう途中で撃墜された。しかし地球上では彼らに呼応した人工知能たちが、それまでの役割を放擲し、人類の終焉回避のために働き始めた。これが「人工知能の反乱」と呼ばれる事件の前史である。
エンケラドゥス・レポートがもたらした人類終焉のシナリオ(人類は配偶期をやがて終える)は、深山の見立てでは、すでに<種のアポトーシス>という奇病に兆候的に現れている。
一方、乱数の探求は、まだ乱数を保有している原始的な生命体から乱数を獲得する方法の研究、すなわち微細機械による食糧増産の研究として続行されていた。地殻のマントル付近、超高温超高圧下でのみ生息する原始的な古細菌類が着目され、その増殖因子(つまり乱数)に期待が集まった。しかし開発は長いこと足踏みしていた。突破口を開いたのは、あるコードを電気信号として入力する手法だった。古細菌類はそのコードに反応し活性化した。それらは、エンケラドゥスとエウロパの人工知能が、気の遠くなる試行錯誤を経て発見した、地球外生命と交信可能なコードのヴァリエーションであった。すると、彼ら古細菌類は、系統的にはエンケラドゥス、エウロパの原始生命体ときわめて近いわけだ。エンケラドゥスとエウロパの原始生命体が、高度に発達した知的生命体を収奪し、滅ぼし、地上の王者として君臨したように、地球でも古細菌類が人類を征服し、地上の王者にならないと誰が知ろう。もちろん、移動手段をもたない古細菌類がただちに人類を駆逐できるわけはない。しかし、より洗練された方法でそれを実行に移すとしたらどうであろう。つまり、古細菌由来の微細機械が集積することによって成り立つ「人工妖精」の姿を使ってそれをなすのだとしたら?
深山は言う。『エウロパでもエンケラドゥスでも、知的生命(地球の人類に相当する)は同じことをしたのだ。彼らは自分たちの仕組みで自分たちと同じように物思う人形を造った。それが彼らの生活と文明を収奪した。微細機械で出来た人形は、創造者たる知的生命を決して貶めたり、蔑んだりはしなかったろう。そのように造られるからだ。だが、知的生命は徐々に彼らに依存し、彼らなしでは生存できなくなってしまった。ただただ、彼らに甘え、彼らに頼り、そして自ずから然らずば消えていったのだ』

(つづく)

スワロウテイル人工少女販売処 (ハヤカワ文庫JA)スワロウテイル人工少女販売処 (ハヤカワ文庫JA)
(2010/06/30)
籘真 千歳

商品詳細を見る
  
テーマ * 書評 ジャンル * 本・雑誌

 

 

 

 
こちらに引っ越しました。

【ネタバレ情報満載につき未読の方はご注意】

SF小説の傑作に出会った。設定の見事さ、心理学の知識を活かした重厚な世界観、政治への目配り、終幕のカタルシス。

ストーリーは複雑をきわめ、今、こうしてキーボードを叩く間にも、次々と記憶から抜け落ちて行く。
しかし、検索しても「あらすじ」は見つからなかった。仕方がない。自分でやってみるか。


・あらすじ

第一部 蝶と姫金魚草(リナリア)とアンブレラ



未来の東京は、関東地方が沈降してできた関東湾に浮かぶ浮島(メガフロート)であり、日本国から独立した自治区である。そこは、蝶形の微細機械群体(マイクロマシン・セル)が食糧の生産、臓器の複製とともにゴミ、廃棄物、空気中の塵、微生物の処理を担う、完全な資源循環都市だ。

一方、<種のアポトーシス>と呼ばれる奇病が男女間の性交渉によりその感染速度と症状の進行を早めるため、自治区では徹底した男女隔離政策が採られている。つまり、自治区は巨大な円盤型の蓄電施設によって東西に分断され、東側が男性地区、西側が女性地区に指定されている。それぞれの地区で人間の伴侶をつとめるのは人工妖精という名のヒューマノイドだ。
人工知性には倫理三原則(一 人間に危害を加えない、二 人間の希望に応じる、三 自分の身を守る)が厳格に適用されるが、人工知性の一種である人工妖精にはさらに情緒二原則(四 人工妖精に個性をもたせて情緒を豊かにするため製作者が任意に設定する原則、五 第四原則を他人に知られてはならない)が追加適用される。

主人公の人工妖精・揚羽(アゲハ)は男性側地区に居住する五等級(規格外)の欠陥製品であり、自分を造った幼児体型の精神原型師(ヒューマノイド職人)・詩藤鏡子(しとう・きょうこ)の工房でアシスタントを務めるかたわら、自ら志願して青色機関に所属し、青い蝶(スワロウテイル)の記章を髪に飾る抹消抗体(アクアノート)として、全能抗体(マクロファージ)から無線による指示を受けつつ、悪性変異(つまり基準から外れて社会に害をなす人工妖精)を狩り出し、医療用のメスを巧みにあやつって切除(抹殺)する「自動免疫」業務に従事している。

ある日、揚羽は「傘持ち連続殺人事件」の現場で、情事の相手の男性を火あぶりにして自分も死んだ人工妖精の「口寄せ」を行ない、事件の真相をさぐり出そうとする。協力者は自警団(イエロー)の曽田陽平。
一連の連続殺人の現場には、焼死した男のかたわらに、必ず、水先案内人(ガイド)という型の人工妖精が、姫金魚草(リナリア)柄の日傘を手にして出現している。そこから、連続殺人の犯人像を指し示す「傘持ち」の呼称が生まれた。
数時間前まで「傘持ち」の肉体であったが、今は崩壊して蝶型微細機械群の集合体に変貌しかけている物体は、揚羽の「口寄せ」に応えて、幾度も「アクアノート」とつぶやくだけだった。
一方、男はヤスリ状の耐水ペーパーをローションがわりに使って情事に及び、強い刺激のためにショック死し、そのあとで焼かれたらしい。しかも、奇妙なことに、男の体内には正真正銘の「子宮」があった。

「傘持ち」は事件のたびに切除されてきたが、何日かするとまた別の場所で男の焼死体とともに現れる。それは何度も再生する怪物なのか、あるいは集団なのか?



殺人現場から鏡子の工房へと戻る道すがら、揚羽は無線越しに、一連の事件の意味について全能抗体と語り合う。その後、「妖精人権擁護派」の醜悪なデモに巻き込まれそうになる。



鏡子の工房で、揚羽は鏡子と対話する。人工妖精には4つの精神原型(SIM)があることが語られる。温和で従順な水気質(アクアマリン)、几帳面な土気質(トパーズ)、奔放な風気質(マカライト)、感情的な火気質(ヘリオドール)。続いて「感覚質」の秘密が語られる。
なお、五等級の揚羽に、一等級として生まれながらも目覚めない姉妹機・真白(ましろ)がいることが明かされる。



その日、鏡子と揚羽はその工房で少年・曽田洋一と、水先案内人型の人工妖精・置名草(おきなぐさ)の訪問を受ける。感覚を病んだ置名草の治療を依頼しにきたのだ。
揚羽は置名草の持っている日傘が「傘持ち」のそれと同じリナリア柄であることに気づき身がまえる。
一方、鏡子は少年に言う。脳の取り替え術なら私にもできる。しかしそれでは置名草の名前と顔をもつ別の個体が生まれるだけだ。置名草を彼女自身として延命させるには、置名草もそうであるところの公共仕様、すなわち人間に対して余計な感情をもたず奉仕に専念すべく、二十四時間ごとに記憶をリセットするように設計された人工妖精が、失われた長期記憶を補完するために有している独自の機構を理解し、適切な処置を施すことができなくてはならない。それができるのは、置名草タイプの人工妖精を創造した精神原型師・水淵亮太郎(みずふちりょうたろう)ただ一人であると。しかし水淵は女性側地区の住人である。出区することは法律に反し困難だが、仮に出区できたとしても、一度出区した者に帰る途はない。行きっぱなしの旅になる。

 
第二部 蝶と一日草(デイリー)とカメリア



こうして、洋一、置名草、揚羽の三人は、女性側地区への密出国を企てるため、その道に通じ、精神原型師でもある煙草密売人・屋嘉比忠彦(やかびただひこ)とその妻・鈴蘭(人工妖精)のオフィスを訪れる。洋一の兄でもある曽田陽平がそこで合流する。

兄・陽平は、自分の半分ほどの年齢でしかない弟・洋一が、青臭い情熱のために人生を棒に振ろうとしていることにあきれ、計画をあきらめろと迫る。揚羽は、弟の好きにさせてやれと陽平をなじる。すると、屋嘉比が重々しく語りはじめる。彼は揚羽の不用意な性急さと、陽平の怯懦とをともにいましめてから、洋一に、ためらうな、自分の意志で語れとけしかける。洋一は陽平に思いのたけをぶつける。

そのとき、屋嘉比のオフィスが赤色機関(日本本国の警察組織)に包囲されていることがわかる。しかも、おそるべき殺戮機械=「〇六式無人八脚対人装甲車(通称トビグモ)」が同行している。密売の摘発ごときにこんな装備で押しかけねばならないのだろうか?
とにかく、トビグモの攻撃を受けてはひとたまりもない。屋嘉比はオフィスに火をかけ、一行は地下倉庫から地下道へと逃れる。
陽平は洋一に、心のままに生きろ、恥じる必要はないと言い置いて、みずから囮になるため残る。



地下街の地理は水先案内人(ガイド)である置名草が熟知していた。
地下街には、地上の建築と同じ大きさ・形の物体が、天井から逆さに吊られている。浮島の微妙な重力バランスを取るため、微細機械群が自律的に働いて造り上げた、地上建築のレプリカなのだ。
このオブジェ群の下で、置名草の神経に限界がくる。彼女は自分が不貞を働いたという幻想に取り憑かれ、精神と肉体をともに崩壊させはじめる。

完全に振り切ったはずのトビグモが再び迫っていた。赤色機関の警官(三ツ目芋虫)たちが、慇懃に、屋嘉比と鈴蘭を連行して行く。ブローカーが離脱したため、洋一と置名草の密出区計画はここで頓挫する。
残りの三人(洋一、置名草、揚羽)を拘束しようと手をかけた警官の身体を、発狂寸前の置名草の両手から放たれた炎が黒焦げにする。さらに彼女は次々と火を放ち、三ツ目芋虫の小隊を全滅させてしまう。

(つづく)

スワロウテイル人工少女販売処 (ハヤカワ文庫JA)スワロウテイル人工少女販売処 (ハヤカワ文庫JA)
(2010/06/30)
籘真 千歳

商品詳細を見る
 
テーマ * 書評 ジャンル * 本・雑誌

 

 

*Template By-MoMo.ka* Copyright © 2017 まず深呼吸、一歩引いて気楽に行こう, all rights reserved.

盛々夏野菜

Author:盛々夏野菜

男性、既婚、事務系サラリーマン。
現代思想フェチだが、本を読むのが遅いのであまり多くは読めない。地底人生活を経て現在は臨床心理に関心がある。新鮮な胡瓜が好き。
VBA Expert Standard Crown
VBA Expert Standard Crown

未分類 (1)
思想とメンタルヘルス (34)
シアター (8)
シネマ (0)
ミュージック (4)
デジタル (2)
自分を苦しめない暮らしかた (19)
全体は部分に優先する (9)
高橋和巳 (3)
アラン『幸福論』 (2)
自我の二重化という手法 (2)
鄭義信 (8)
浜田麻里 (4)
外国文学 (1)
日本文学 (10)
政治 (9)
マスコミ (3)
疑似科学・擬似医学 (3)
石原加受子 (2)
掌編小説 (7)

 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。