きゅうり

 

盛々夏野菜のハードエッセイ & ショートストーリー 【思想、心理、書評、劇評、感想、あらすじ】
 

 

 
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『焼肉ドラゴン』を含む最新戯曲集がやっと出る。

鄭義信戯曲集 たとえば野に咲く花のように/焼肉ドラゴン/パーマ屋スミレ鄭義信戯曲集 たとえば野に咲く花のように/焼肉ドラゴン/パーマ屋スミレ
(2013/05/16)
鄭 義信 (チョン ウィシン)

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義信(うぃしん)さんは本作でついに喜劇の新しいジャンルを確立したのではないだろうか。すべての要素が義信さんのカラーに染まっている。

(1)必ず三回繰り返すギャグ。この三回を一ユニットとするギャグの集中砲火が、手を変え品を変え、一幕全体にわたって延々とつづく。

(2)「泣く子も黙る大女優」麻実れいに、一幕でコミックソングを熱唱させたかと思えば、二幕では狂気の高速ステップを踏ませ、喜劇俳優としての資質を120パーセントひきだした。かくもはじけっぱなしの麻実さんを観る機会はまたとないだろう。

(3)老いも若きも、俳優たちを容赦なく全力疾走させる。本当に肩で息をする様子がギャグになっているほどだ。

(4)義信組(うぃしんぐみ)の俳優は物を食べながらセリフを聞かせることができなくてはならない。沢村一樹と麻実れいは、ともにかけそば一杯を食べるあいだしゃべりつづけるし、終幕では全員で本物の「おはぎ」をほおばりつづける。

(5)俳優たちは、たびたび芝居を中断し、立ち止まり、真顔になって「ぼやき」はじめる。俳優の私生活にまで踏み込む会話の徹底ぶり。

名作『焼肉ドラゴン』や『パーマ屋スミレ』では、こういう場面が芝居の「スパイス」として効いていたものだ。しかし本作では完全に攻守が逆転し、ドラマの筋立てよりも、明らかにこっちのほうが目的になっている。
スケールの大きな喜劇だ。作劇のテクニックから俳優の生理にいたるまで(後者にかける情熱は日本の演出家の中でダントツであろう)、演劇という芸術がもっているありとあらゆる要素を駆使し、一瞬たりとも退屈することを観客に許さない。いまや日本を代表する劇作家・演出家の一人として、おしもおされぬ存在となったかれの、プロとしての自負と、徹底して泥臭い芝居づくりにこだわる現場感覚に感動をおぼえた。『焼肉ドラゴン』『パーマ屋スミレ』を観たときよりも、いっそう深く、しみじみと思った。鄭義信は偉大だと。

アトリエ・ダンカンプロデュース「しゃばけ」 
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ぼくに炎の戦車を』を観てきた。

男寺党(ナムサダン)の目も彩な民族衣装、サムルノリの演奏、サンモノリの美技に圧倒されて、俺は幕開けからすでにトランス状態になっていた。

今回は『焼肉ドラゴン』や『パーマ屋スミレ』のような緊密な構成の戯曲ではなくて、いくつものエピソードが同時進行で進み、各俳優に見せ場を作る手法が使われている。これも鄭さんお得意の作劇術のひとつだ。

主役級の男優陣は、今回、体当たり・絶叫型の演技で気を吐いている。
馬渕英俚可安寿ミラという手練れの女優陣は、こなれた芝居で舞台をひきしめている。
もっとも俺の印象に残ったのは、鄭義信(チョンウィシン)ワールドの常連といえるおかまキャラを演じきったイ・ヒョンウンと、今や鄭義信作品に欠かせない存在となりつつある星野園美だった。そして広末涼子。派手さや器用さは感じられないけれど、ていねいな役作りをコツコツと積み重ねた堅実な芝居で、一座を牽引していた気がする。この三人の存在感はきわだっていた。

シリアスな重たい場面のあとに歌と踊りのシーンが挿入され、一瞬として観客を飽きさせない構成はいつもどおり。しかしこういうシーンにも批評精神は生きている。たとえば一幕三場の「東京節(パイノパイノパイ)」。植民地の日本人が帝都の情景をコミカルに歌うシーンは、「支配する側」に属する人びとのの無意識の驕りを露出する。そういえば平田オリザ氏の『ソウル市民』にもこの歌は出てくる。

朴勝哲(パクシュンチョル)の今回の演奏はアコーディオンではなくてジャズピアノ。

男優、女優を問わず水をガブ飲みさせたり、食物を頬張ったまま長ゼリフを喋らせ、俳優に負荷をかける演出は今回も健在だった。出番が終わった途端にトイレにかけこむ俳優さんの姿を想像してしまう。しかし、すぐれた俳優さんほど、肉体的負荷がかかったときにいい芝居をすることも事実なのだ。

こうして、見どころ満載の舞台なのだが、俺がこの公演の最大の成果と思っているのは、東京のど真ん中、赤坂、TBSの劇場(赤坂ACTシアター)に、大日本帝国による朝鮮支配の歴史をひっぱりだしたことだ。しかもそこは外務省の目と鼻の先なのだ。終幕で、草彅剛演じる柳原直輝は演説する。「先生は君たちを、朝鮮の人たちを愛しています。そして、そのことが……愛することが、今の朝鮮では認められないことであります。許されないことであります。けれど、先生は愛することをやめたわけではありません」これは決して清算済みの過去ではない。なぜなら、今、俺たちが同じことを言うにも勇気が要るからだ。直輝のように命を懸ける必要はないとしても、さまざまな人の思惑を気にしたり、場合によっては議論を受けて立つ覚悟をする必要がある。では、なぜいまだにそうなのか。そのことを深く考えるのに、今回の劇場はうってつけの場所だった。

『焼肉ドラゴン』、『パーマ屋スミレ』、そして本作と、政治の問題を正面からとりあげてきた鄭さんの直球勝負はどこまで続くのか。終演後、鄭さんにその話をしたら、こういうハードな作品はすこしお休みだと言っていた。雑音の集中砲火をかいくぐってのしんどい作業だったのだろう。今後しばらくは、鄭さんの本領である極上のエンタテインメントを楽しもう。すでに来年春、同じ赤坂ACTシアターの公演『しゃばけ』(畠中恵原作)も決まっている(チラシはこちら)。しかしすこし休んだら、やはりど真ん中ストレートの直球勝負を観せてほしいと願ってしまう。 
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鄭義信(ちょん・うぃしん)さん作・演出の『ぼくに炎の戦車を』が、TBSの赤坂ACTシアターで11月3日から始まっている。主演は草彅剛。

鄭さんの作品は長いこと観ているけど、今回の人気はすごい。メディアも反応している。

座席はもちろん完売。

戯曲の掲載されている『悲劇喜劇12月号』が発売日の11月7日になっても近くの書店に出ないので不思議に思っていたところ、すでに品切れ。俺が書店に行けない昼間のうちに売れていたのだろう。通販でかろうじて手に入れた。

NHK EテレのETV特集で11月25日の22時から「日韓 記憶のシナリオ ~劇作家・演出家 鄭義信~」が放送される。

AERAの最新号(11月19日発売)に鄭さんのインタビューが掲載される。


追記 12月1日現在、Amazonに悲劇喜劇12月号の在庫が2冊ある。

悲劇喜劇 2012年 12月号 [雑誌]悲劇喜劇 2012年 12月号 [雑誌]
(2012/11/07)
不明

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鄭義信作・演出『パーマ屋スミレ』がテレビ放送される。
2012年5月6日深夜 NHK-BSプレミアム プレミアムシアター 
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鄭義信(ちょん・うぃしん)さん。劇作家、演出家。
焼肉ドラゴン』で在日コリアンの歴史を真っ正面から取り上げ、客席を嗚咽の渦に包んだ圧倒的な舞台成果と、興行的な大成功により、在日コリアンの悲劇を歴史の表舞台に引きずりだし、認知させた。
この作品のおかげで、俺たちは、在日コリアンの悲劇を周知の事実として語ることができるようになり、隠れ民族差別主義者の陰険な反論を気にする必要がなくなったように思う。

パーマ屋スミレその鄭義信さん……以下では親しみを込めて義信さんと呼ばせてもらうけど、その義信さんが今回、さらなるド真ん中ストレートで挑んできた。本作『パーマ屋スミレ』は、明確な日付をもった事実、つまり、1963年11月9日に三川鉱ベルト斜坑で起こった炭塵爆発と、この事故が招いた史上最悪のCO(一酸化炭素)中毒死・中毒後遺症のもたらした悲劇に焦点を絞っている(作中では1965年の出来事ということになっている)。

『焼肉ドラゴン』と同じ系譜の作品らしく、三人姉妹、屋根の上の語り手、店構えのセット、上手の三輪トラック(『焼肉ドラゴン』ではリヤカー)、井戸の手押しポンプ(『焼肉ドラゴン』では水道の蛇口)と共通点が多い。
しかし、本作には『焼肉ドラゴン』における人間賛歌の明るさはなく、喜劇的な場面でも事故の暗い影がつねにつきまとう。

たとえば『焼肉ドラゴン』で北朝鮮に渡る清本哲男は、北朝鮮の現実についてうすうす気づいているが、それでも理想国家建設の希望を失っていない。
しかし本作で北朝鮮に渡る張本英勲(石橋徹郎)は、口では「社会主義建設の一翼を担う」とか言っているが、内心では今のつらい現実から逃げ出して死ぬために行くつもりであることが、兄である張本成勲(松重 豊)のセリフから明らかになる。

また三女の高山春美(星野園美)は、CO中毒の激しい後遺症に耐えられなくなった夫を、本人の委託によって殺す。

他にもエピソードはたくさんあるが、ここではすべてを紹介する必要はないだろう。
義信さんは、たしかに、いつものようにあの手この手で観客を楽しませてくれる。しかし、本作にはそれだけでは終わらせないという決意のようなものを感じた。凄味とでも言おうか。
ふと思いついたので脈絡はないのだが、もしこの作品を男の顔にたとえるなら、今回は、表情豊かな美男子というよりも、眼光するどく、頬のこけた、精悍な兵士という風情なのだ。

三人のビッグネーム(南 果歩、松重 豊、根岸季衣)が入った、贅沢な顔ぶれから、丁々発止の芸が堪能できると期待してきた人は多いだろう。もちろん俺もそうだった。たしかに「今回僕らは、高い評価を得た『焼肉ドラゴン』という作品の完成度に立ち向かわなきゃいけない使命があるんですけど」という松重さんの発言(シアターガイド 2012年 04月号)にもあるように、俳優たちは過酷な稽古を経て、高い完成度の演劇空間を作り上げたけれど、本作は、さらにその先を目指しているように見えるのだ。トップレベルの俳優であるかれらの技倆ぎりぎりの、あるいはそれ以上の芸を披露することは当然の大前提であり、その上で、さらにその先のものを示すことを、かれら自身の使命として選びとったのではないか。というのも、丁々発止の芸が、完成を通り越し、「枯れて」きているように俺には思えたのだ。しつこくない。さらりとしている。そこが、『焼肉ドラゴン』との違いとして、もっとも俺の印象に残った点であった。つまり、本作の主人公は、個々の登場人物ではなくて、事故そのものなのではないか。

この作品が、今、この時期に執筆され、上演されることには深い意味がある。
それは、この国の杜撰なエネルギー政策が、またしても悲劇を繰り返し、またしても弱者を切り捨てるという事実が、今まさに現実となっているからだ。そして、それにもかかわらず、政府は反省の色もなく、杜撰な政策を続けることに躍起となっている。
この作品の登場人物たちが味わう悲劇、そしてそれにもかかわらず強く生きていく姿は、この現実に対する強力なインパクトとなろう。
大村茂之(久保酎吉)のセリフが印象に残る。「……まだまだ石炭は掘れるとに、石油に負けてしもうた……石油がいかんようになったら、次はどげんすっとね……」

終幕、登場人物たちはみな新天地へと去り、高山須美(南 果歩)と張本成勲の夫婦だけが残される。須美(CO中毒症の補償のための裁判闘争をつづけている)は、CO中毒症のため半身不随となった夫の成勲を理容椅子に横たえて髭をあたる。雪(戯曲では桜)が降っている。屋根の上の語り手であり、二人の甥であるところの大大吉(酒向 芳)は、自分の差していた傘を、二人の姿の上に差しかける。類まれな美しい幕切れであった。『焼肉ドラゴン』のあの感動のラストを軽く超えてしまったなと思った。

追記 テレビ放送決定 
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・上演記録

場所=神楽坂 イワト劇場
上演時間=約2時間30分

上演された挿話(順序は不正確、失礼)

はじめに
土堤の春
「青べか」を買った話
繁あね
朝日屋騒動
経済原理

―休憩―

蜜柑の木
芦の中の一夜
長と猛獣映画
留さんと女
三十年後


・総論

今回の黒テント公演で座長役をつとめたのは内沢雅彦さん(終演後の挨拶も斎藤晴彦さんではなくて内沢さんだった)。
彼が黒テント出身の旧友、鄭義信(ちょんうぃしん)さんに舞台化を持ちかけ、公演が実現した。

黒テントには「物語る演劇」の伝統がある。「物語る俳優」は戯曲の「ト書き」や小説の「地の文」を自分のセリフに織り込んで語る。登場人物の数と俳優の数は一致しなくていい。一人の俳優が複数の人物を演ずるだけでなく、複数の俳優が一人の人物を交代で演じたり、ときには複数の俳優が一人の人物を同時に演ずることもある。自分の演技を終えた俳優が必ず退場するとは限らない。劇の進行を見守ったり、感想を漏らしたりもする。

黒テントが1970年代のすえ、ブレヒトの「教材劇」などを参考にしながら確立した手法で、小説も詩も舞台化することができる。

当時高校生だった俺は、金芝河(きむじは)の詩を舞台化した『笑う恨(はん)』(第1部=キャバレー金芝河、第2部=糞氏物語)を観て衝撃をうけ、それ以後熱烈な黒テントファンとなった。

その後、集団としての黒テントが様々な試みに挑戦してゆく中で、この手法にこだわってきた作家・演出家がゲンさんこと山元清多(きよかず)氏であった。とくに揚野浩(あげのひろし)作『プロレタリア哀愁劇場』は、俺にとって今でも忘れることのできない名演である。山元さんは2010年に亡くなった。

今回、「物語る演劇」の全盛時代に黒テントに在籍していた義信さんが25年ぶりに招かれて構成・演出をつとめ、この手法によって可笑しくも悲しく、そして底抜けに楽しい舞台をつくりあげた。

地の文をセリフに織り込むところは「物語る演劇」の定石どおり。冒頭、浦粕の町の情景を描写するくだりは全出演者が1フレーズずつ交代で語ってゆく。1フレーズずつだぞ。並の稽古量ではできない。黒テントは、ときどき、こういう圧倒的なチームプレーのワザをみせてくれる。

語り手の「私」は5人のベテラン俳優が担当し、挿話ごとに交代する。その5人も「私」を担当していないときは他の重要人物になる。

舞台は打ちっぱなしの床と、その中央にしつらえられた能舞台風のステージとの二重構造になっている。上のステージが「劇世界」だとすれば、下の床部分は「半分劇世界、半分現実」の中間地帯であり、出番待ちの俳優たちががステージに向かってヤジを飛ばしたり、楽器を持って演奏する空間になる。また場面の移動を表現するのにも使われる。

原作が原作だけに、全編下品な言葉のオンパレードだが、特に笑ったのは「おーかんけ」の唄を全員で歌いながら練り歩くところだった。
おーかんけ(大権化)おーかんけ おいなりさんのおーかんけ おぞーに(雑煮)とおあーげ おあげのだんからおっこって あーかい***ーすりむいた こーやくだい(膏薬代)にくれせーま くれせーま
もちろん伏字のところも歌っちゃう。これを何度も何度もいやというほど歌う。そのしつこさに、いっそう笑いが止まらなくなる。


・各論

「「青べか」を買った話」は、私(内沢)が芳爺さん(斎藤)の術中にはまり、ポンコツ舟を売りつけられる様子がリアルで笑えた。間合いの取りかたが絶妙であった。内沢さんと斎藤さんはどちらもはまり役で、この二人にしかこの場面は演れないなと思った。

公演チラシののイラストにもなっている「繁あね」のお繁(滝本直子)は、劇中、私(小篠(おざさ)一成)と対面して話すことはない。私の背後のブレヒト幕(胸の高さのカーテン)の上から人形劇のように首だけ出して私に呼びかける。この演出は成功していて、お繁の存在が穢れを通りこして聖者になってしまったような気がした。

「朝日屋騒動」では「あさ子」(平田三奈子)の啖呵が聞きものだった。原作よりおっかねえ。

「経済原理」の悪ガキどもの筆頭は黒テント最年長の三人(斎藤、小篠、そして服部吉次)が演じた。そのにくたらしさがかわいかった。

「蜜柑の木」は女房の「お兼」と寝た男たちに小銭をせびって歩く「しっつぁん」(木野本啓)のうすら笑いがいじましくて笑えた。お兼に岡惚れする助なあこ(米田圭亮)の純情ぶりもよかったが、俺がもっとも気に入ったのは、助なあこの寝言を仲間の水夫(内沢)が真似るところ。目をつぶり、声をふるわせながら「お、か、ね、さん」「おら、おめえが、好きだ、死ぬほど好きだ、よう」とうめく時の、容赦のないえげつなさが最高であった。内沢さん、この挿話ではほんの脇役なのだが、このセリフひとつで主役を食っちゃったなと思った。それほどの出来だった。もちろん、ふだんの内沢さんが掛け値なしの紳士であることは保証する。

本編唯一の純情ラブロマンス「芦の中の一夜」では、姐さんかむりのお秋(岡薫)が綺麗だった。幸山船長(服部)はお秋の思い出を語り終える。いつの間にか彼はサックスを握っている。彼はブルースを吹き鳴らす。

「長と猛獣映画」の長(内沢)が映画の中の猛獣を現実と取り違えて犠牲者に警告を発する場面は秀逸であった。スクリーンの中の、彼が現実と思っている生命の危機に身もだえし、全身をかきむしり、身も世もあらぬていでうろたえ、絶叫しまくる。長の「本気」が伝わってきていとおしくなった。

最後の挿話にしてクライマックス「留さんと女」の留さん(小篠)はお秀からバカ踊りを命じられ、ののしられながら踊る。私(内沢)はそのさまを見ていることに耐えられなくなり、早々に勘定をすませて退散する。それでも私の怒りはおさまらない。私は叫ぶ。「巡礼だ」それは私が愛読していたストリンドベリ『青巻』の一節である。「苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」

「三十年後」の挿話がはじまると、ステージ上の私=山本周五郎(斎藤)、カメラマン(木野本啓)、千本の長(宮崎恵治)を除く俳優たちが「二重構造の下の方」で壁に向かい、冬じたくをはじめる。
三人が沖の弁天をたずねる場面は、義信さんによって書き換えられた。弁天社は津波で破壊され、その一帯でたくさんの犠牲者が出たことがわかる。そのとき、冬じたくの人びとはステージ上に折り重なって倒れ、息絶える。ここに東日本大震災の犠牲者への鎮魂を読み込んでも大きな間違いではないだろう(そこへさらに内沢さんの故郷、釜石を重ねてみるとしたら、深読みのしすぎであろうか)。


・雑感

義信さんが、プロデュース公演ではなく一劇団の公演を外部演出家として手がけることは珍しい(もしかして初めてかな?【注1】)。底辺に生きる人びとへの目線で定評のある義信さんと、表現手法の開拓者である黒テントの出会いがまたとない観劇体験をうみだした。毎度のことながら、義信さんが観客を楽しませるために用意する抽斗の豊富さには感心してしまう。終演後の客席には深い満足感をたたえた空気感があった。一般の評価も高いようだ。しかしイワト劇場の定員は約100名。15ステージで1500人しか観ていない計算になる。その程度の規模で終わらせてよい作品ではない。この勢いを駆って、もう少し広い劇場で再演を実現してほしい。

青べか物語 (新潮文庫)青べか物語 (新潮文庫)
(1963/08)
山本 周五郎

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・追記

(1)この公演のパンフレット(観客は全員もらえる)には浦粕マップがついている。原作を読むのに便利だと思う。
(2)今回舞台化されなかった挿話「おらあ抵抗しなかった」の糞生意気な銀公や、「家鴨(あひる)」に出てくるDV亭主の増さんも義信さんの演出で観てみたい。

(2012年1月24日投稿の記事に加筆・修正)

【注1】(2012年7月23日の注)よく考えたらはじめてではなかった。オペラシアター「こんにゃく座」も外波山文明氏の「椿組」も演出している。 
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青べか物語

黒テントの内沢雅彦さんが『青べか物語』のチラシを送ってくれた。
俺にとって、個人名でチラシを送ってくれる人といえば、この内沢さんと鄭義信さんのふたりくらいなのだが、実はこの公演、内沢さんの熱いリクエストに応えて鄭さんが構成・演出を手がけることになった友情あふれるコラボ作品なのだ。

内沢さんは黒テント所属のベテランで、主役級をいくつもつとめてきた、味のある名優、イケメンである。
鄭義信さんは『焼肉ドラゴン』と『愛を乞う人』で演劇と映画の両ジャンルを制覇したモンスターというべき劇作・演出・脚本家である。

25年前、俺は黒テントの追っかけをやっていた。一介のファンにすぎない俺をかわいがってくれた劇団員グループの中の二人が、内沢さんと、作業場の公演で処女作を作・演出したばかりの鄭さんだった。

当時、黒テントは「物語る演劇」を実践していた。
詩や小説という戯曲形式でないテキストを、地の文を含めて一切省略せずに演じる。地の文は人物に割り当てられたセリフではないから、俳優個人とテキストとの間の距離感というか緊張感がとりわけ重要である。俳優の技量が問われる形式なのだ。
一方で、地の文が使えるから、状況説明のための会話を延々とつらねずともさらりと一言ですませ、すぐ本題に入れる。演劇の可能性を広げる実験でもあるわけだ。
この形式を使った名作がたくさんある。『cabaret金芝河』、『糞氏物語』、『宮沢賢治旅行記』、『プロレタリア哀愁劇場』……。黒テントにとって、何度目かの黄金時代だったのだと思う。

そして今回、その時代を若き俳優(鄭さんも劇作のかたわら長いこと俳優として活躍していた)として過ごしたふたりが再会し、ふたたび「物語る演劇」に挑む。「アジアで一番しつこい演出家」(自称)である鄭さんが、黒テントの手だれの俳優たちとどう対決するか。懐しく、新鮮で、刺激的な舞台になるはずだ。

ちなみに、今でこそ「黒テント」は劇団の正式名称だが、当時「黒テント」は通称で、正式名称は「68/71(ろくはちなないち)」。当時は本物の黒テントで全国公演を行なっていて、その公演の呼称が「68/71黒色テント」。場所を選ばない、出前形式の小規模公演が「68/71赤いキャバレー」。俳優養成講座が「赤い教室」。ベテラン劇作家3人、批評家2人。劇団員を「評議員」と位置づけ、隔月刊の機関誌を出していた。当時から俳優の層の厚さ、レベルの高さでは業界のトップクラスだった。

追記 2012年1月24日 観劇記をアップ 
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Author:盛々夏野菜

男性、既婚、事務系サラリーマン。
現代思想フェチだが、本を読むのが遅いのであまり多くは読めない。地底人生活を経て現在は臨床心理に関心がある。新鮮な胡瓜が好き。
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