きゅうり

 

盛々夏野菜のハードエッセイ & ショートストーリー 【思想、心理、書評、劇評、感想、あらすじ】
 

 

 
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【ネタバレ情報含む。未読、未見の方は注意】

壱、「賭け初め泣き初め江戸の春」の場では、小林弥太郎(後に一茶)が俳諧をこころざす契機となった事件が演じられる。事件はフィクションだと思うが、劇中に出てくる俳諧作品はおそらくすべて真作であろう。これらの句を作者(井上ひさし)はエピソードの中に器用に埋め込み、まるでそれらの句の詠まれた現場が再現されているかのように錯覚させる。

ところが弐、「芝居仕立て」の場で、壱の芝居は浅草元鳥越町の自身番(じしんばん≒自警団の番所)を舞台として、町内の俳諧仲間一座(名づけて「明神一座」)が演じる劇中劇、いまでいう「再現ドラマ」であったことがわかる。窃盗の下手人に擬せられた一茶の人物像をあぶりだして「吟味」するための芝居らしい。
『小林一茶』というタイトルにもかかわらず、一茶自身は窃盗の嫌疑をうけて夏目成美(せいび)の寮に足止めされているために、この劇には一切登場しない。本人を登場させなくても伝記劇を成立させてみせるという、作者の自信のほどがうかがえる。
かわりに、「御吟味芝居」の中で一茶を演じるのは、もと狂言作者で、今は同心見習の五十嵐俊介。いまでいえば巡査であろうか。「ホシの立場になって考える」ために、みずから下手人=一茶の役を買ってでた。

ところで、今回、俺は全編の要約をやるつもりはない。各場面のからくりを解き明かすのはひどく骨の折れる仕事だし、骨が折れる割には作品の香気をそこなうばかりであろうからだ。興味のある方には読むなり、観るなりしてもらったほうがいい。決して損はしないから。

ああ、でも我慢できない。2つだけ見どころを述べさせて欲しい。
八、「咥え紙」の場で、随斎庵の主の地位をかけて畳の上をのたうちまわる一茶と、ライバル俳諧師の竹里(ちくり)を描いた場面がすばらしい。物書き(俳諧師)の苛烈な執念は、作者のそれとも重なるであろう。
九、「灸」の場で、花嬌(かきょう)の愛の句を一茶に取り次ぐのは、源助という老僕に身をやつした竹里である。彼は一茶に短冊を届けるまでのほんのいっときの間に手を加え、色気もそっけもない句に「改作」してしまう。すごいのは、作中で竹里の改作を経たあとの句のほうが、文献学上の女流俳人・織本花嬌の作だという点だ。「改作前」のほうが実は作者による改作なのである。つまり作者は真作の来歴を捏造するというアクロバットをやってのけた。井上ひさしが「すげーだろ」と言っている気がする。はい、参りました。

さて、本作の主調をなすのは、芭蕉を手本とし、業俳(ぎょうはい)として身を立て、俳諧の道をきわめようとする一茶の生きざまである。しかしこのことは、彼をしてつねに金策に走らせることとなる。
俳諧そのものは金にならない。しかし連句の会につらなり、一流の俳諧師たちと交わっていなければ技倆は上がらない。そこで、春から夏にかけては諸国をめぐり、地方の俳諧好きの旦那方と俳諧をやって草履銭や心付けをたくわえてすごさなくてはならない。
かくして、一年中江戸にとどまって一流俳人との俳諧に明け暮れる生活を夢見る彼は、夏目成美が嘘でも随斎庵を進呈しようといえばその話に飛びつく。あるいは、花嬌を妻とし、深川にある織本家の出店で年金つきの楽隠居を決めこむ計画に食指を動かす。
しかし彼は結局貧乏俳諧師のままであった。この年も冬を越すために江戸に戻り、夏目成美の寮で煤払い、庭掃き、雑巾掛け、留守番をひきうけ、食事と寝所にありついていた。

その夏目成美の寮から四百八十両が忽然となくなった(これは一茶の日記に記された史実)。
本作では、一茶が盗みの疑いをかけられる。
御吟味芝居を通じて、一茶犯人説の不自然なところが気になってきた見習同心の五十嵐(一茶役)は、やがて、この芝居は明神一座がぐるになって一茶を犯人に仕立てるために仕組んだ茶番であったことを見ぬく。
一座に紛れ込み、劇中、一茶の肩をもつ発言をくりかえしていたしがない「めし泥棒」が、ライバル俳諧師の竹里その人であったことも明らかになる。
五十嵐は真相を知った竹里の身の危険をさとり、同心見習の肩書きを楯に一座の不穏な動きを封じた上で、竹里に、どこまでも逃げろと命じる。さらに言う。


五十嵐 ……そうだ、竹里、こんど一茶に出会うことがあったらこういってやれ。江戸と切れるんだって。成美などをありがたがっていちゃだめだよって。

めし泥(竹里) へい。

五十嵐 奥信濃に引っ込んじまえって。

めし泥 (完全に退場していたが、また屁っぴり腰であらわれて)しかし……

五十嵐 わかっています。奥信濃には碌な俳諧師がいない、そういう連中と歌仙を巻いていると技倆(うで)が落ちるってんでしょう。

めし泥 そうなんです。

五十嵐 発句に命をかけりゃいいんだ。発句ならひとりで出来るだろう。芭蕉翁の猿真似はよして、発句によって立てばいい。千句も万句も発句を作るのだ。座を捨てて、自分ひとりになるんだよ。


「制約が多く苦しい生きかたを自分に強いるのはやめて、自由に生きよ」
一茶を演じた役者自身が、この真理を、不在の一茶に向かって伝言している……。
自分を思い遣る自分が出現し、救済がおとずれる。
「自我の二重化」という手法が感銘深い効果を生んだ瞬間である。

さらに続きがある。
この五十嵐という男を、わざわざ狂言作者あがりの人物として設定した作者の真意は何であろう。
もちろん、ここには劇作家=井上ひさしが重なる。作者自身が一茶の人生を祝福し、応援するために登場しているのだ。

技法と主題が完璧な調和を果たした、日本戯曲の傑作中の傑作であろう。
二重三重、いや五重六重の複雑な伏線が一点のほころびもなく辻褄を合わせられ、かといって「物書きの執念」という重い主題についてもいささかも妥協していない。
何十回書きなおせばこんなすごい戯曲が書けるのだろう。
「ウェルメイド劇」という言葉はこの戯曲のためにあるのではないだろうか。
この作者と同時代に生まれたことを幸福だと思った。

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【ネタバレ情報含む。未見の方ご注意】

映画『リアル・スティール』

2020年、生身の人間によるボクシングは衰退し、ロボット・ボクシングの全盛時代に入っていた。
チャーリー・ケントンは将来有望なボクサーであったが、ロボットに活躍の場をうばわれ、夢をうしない、場末のロボット・ボクシング興行で細々と食いつないでいる。妻ともわかれ、自暴自棄になり、いちかばちかの無茶な勝負に手を出して負けつづけ、カラッケツになっている。
そのころ、わかれた妻が死んだ。妻のもとで育った息子マックスは叔母のもとに引きとられることになった。チャーリーは、親権の放棄と引きかえに受けとる手切れ金の額をつりあげるため、マックスをひと月だけ預かることにした。
やがてマックスは父親のロボット・ボクシングを手伝うようになり、無計画ゆえに負けつづける父親に、的確なアドバイスを出しはじめる。
しかし親子が夢を託したロボット「ノイジー・ボーイ」はあっけなく敗れてスクラップになり、チャーリーはふたたび無一物となる。
そんな時、親子がゴミ処分場で見つけた「アトム」は、模倣装置を搭載した、旧世代のスパーリング用ロボットであった。マックスはこいつに音声認識装置を組みこんで実戦で使えるようにし、チャーリーは模倣装置を使ってボクシングの型を教えこむ。
アトムは連戦連勝をつづけ、親子の絆も深まり、そしてついに頂上決戦「リアル・スティール」に上りつめる。無敗の帝王「ゼウス」との死闘。チャーリーはヘッドセットから的確な指示を送る優秀なセコンドとなっている。ゼウスをあと一歩でKOというところまで追いつめたとき、ゼウスが苦しまぎれに放った一撃で音声認識装置がやられてしまう。チャーリーの指示は伝わらなくなり、アトムはゼウスの攻撃をかわすこともできない。マックスは迷わず音声認識装置を切り、模倣装置に切りかえる。模倣装置は旧世代の廃れた技術であり、誰も実戦に使えるとは思っていなかったのだが。

その時、チャーリーはアトムと向きあい、アトムの両目と自分の両目を指さして言う、「俺を見ろ」
アトムはその動作をそっくりそのまま模倣する。
美しいシーンだ。
ここでアトムはチャーリーの「もうひとりの自分」になった。
そしてチャーリーは不幸の呪縛から解放され、救済される。
それを見ている俺たち観衆も救済される。

アトムはチャーリーの動きとシンクロしてパンチを繰り出し、ゼウスをたたきのめしていく。
空間に向かってパンチを振るうチャーリーの、晴れ晴れした表情もまた美しい。

「もうひとりの自分」の出現、みもふたもなく言えば「自分を客観視できる余裕」の成立。これは人が神経症から回復するときの重要なステップだと思う。同時に、芸術作品が俺たちを感動させる力の源泉のひとつでもある。
今後、この「自我の二重化」という手法を使った芸術作品について語っていきたいと思う。 
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盛々夏野菜

Author:盛々夏野菜

男性、既婚、事務系サラリーマン。
現代思想フェチだが、本を読むのが遅いのであまり多くは読めない。地底人生活を経て現在は臨床心理に関心がある。新鮮な胡瓜が好き。
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